Pipe to the spirit ditties of no tone
聞こえる音楽は甘美なもの、しかし聞こえない音楽は
さらに甘美なものだ。だからそなた、やさしき音色の笛よ、奏でよ
感覚の耳にではなく、なおも親しき心の耳に
無声の歌を、精神に向かって吹き奏でよ
「ギリシャの壺のオード」(1819)より
英国のロマン派詩人ジョン・キーツは、古代ギリシャの壷を見つめて思いに耽っています。壷の表面には絵が描かれており、そこには名も知れぬ人物が笛を奏でていますが、その音は現実に聞こえることはありません。しかしはるか遠い古代ギリシャに想いをはせ、この壷を作った芸術家と、その絵にこめられた精神を共有するとき、キーツの心の中には、この世のどんな美しい音色よりも、はるかに甘美な音楽が鳴り響く。この音楽を聴くためには、我々はロマン派詩人たちがもっとも大切にした、「想像力」という切符を手にしなければならないのです。
どんな笛の音なんでしょう?ここで私が思い出すのは、古代ギリシャの詩人、ホメロスの「オデュッセウス」に出てくるエピソードです。
トロイア戦争に勝利して、オデュッセウスは故国に向かって船を進めていました。航海の途中では、海の怪物セイレーンが待ち受けていました。そいつは上半身が人間の女性で、下半身が鳥の姿をしており、航路上の岩礁から美しい歌声で船乗りたちを誘惑し、それを聞くと船は難破してしまうという恐ろしいやつなのです。
オデュッセウスはその歌声を聴いてみたかったので、部下たちの耳には蝋をつめて聞こえないようにし、自分はマストにしばりつけさせて、自分がなんと言っても縄をほどかずに船を進めろ、と指示を出したのです。
おれもきいてみたひ…w(゜゜)w
そりゃもちろん現実に聞くことはできないですけれど、ひきこまれて正気でなくなってしまうような音楽、あるって頭の中で想像することはできますよね。
無限である想像力は、われわれのこころのなかに、聞いたこともないような甘美な音を鳴り響かせることができます。現実界にはない想像の世界。でもそれってただの幻想? いえいえ、「ギリシャの壺」の最後はこのようにしめくくられます。
"Beauty is truth, truth beauty,—that is all
Ye know on earth, and all ye need to know."
美は真実であり、真実なるものは美である
この世で人が知ることができるのはそれだけであり、
知る必要があるのもそれだけなのである
*「セイレーン」という言葉、英語では「サイレン」になりましたw うっとりしてひきこまれるどころか、逃げ出したくなりますね。そしてフランス語では「シレーヌ」です。「デビルマン」に出てくる上半身が女で下半身が鳥というデーモンです。