さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

諏訪湖博物館・赤彦記念館

2020年07月07日 | 関東甲信越


諏訪湖博物館・赤彦記念館」に到着です。途中のどしゃ降りは大変だった。
こういうご時世のため、どこから来たのか、電話番号などを書かされる。「東京」と
書くのが少し嫌がられそうな気持ちになる。でも新潟のときのようなあからさまな
警戒感、不快感は感じられなかった。昨夜の甲府の飲み屋でも「東京から来ました」と
カミングアウトしたけれど、全然気にしていない雰囲気でした。たまたまか?
ニュースでは日本のあちこちで嫌がらせがあったという話が出たりする。俺もちらほら
と経験する。もちろん「一部でしょ」ということはわかっているのですが、それでも
印象や記憶が残りますよねェ。。。


オオワシがお出迎え。何年か前に諏訪湖に飛来したやつだそうです。でかいw


カエルさんは喉を動かして「ゲコゲコ・・・」と言っていました。
「ピョン吉」、「デメタン」、「べし」、みんなわかる?


遠く湖の向こうから見るとでっかい建物だと思っていましたが、中に入ってみると
意外とこんなもんか?という印象でした。


一階の特別展示室で、たっぷりと「諏訪湖での漁」というビデオを見ました。冬に
諏訪湖が氷結したときに、仕掛けておいた魚のワナです。なにやら石をガーン!と
やると魚が驚いて籠のなかに入ってしまい、それを引き上げるとか。


いろんなスケート靴が並んでいました。何せここは日本での「スケート発祥の地」だ
そうです。なんか仙台でもそんな展示があったような気がするが。。。むかしは
草履だとか下駄なんかにも歯をつけていたんですねェ。


なんかいいよね^^


金メダルの清水はこちらの出身なの? ちなみに金メダルを受け取るとき、彼は
真ん中で1段高い台に立っていても、それでも両サイドの外国人より背が低かった。


おおお、島崎京子さんの靴!ちなみにライバルの岡崎朋美さんは、かわいい顔して
メダリストになりました。それまで日本のトップだった島崎さんは、残念ながら入賞
どまり。でもね、きっちり自己ベストに近い数字をたたき出し、すごい貫禄でした。
なんつーか、朋美ちゃんがアイドル系で大人気だったのですが、島崎さんはスケ番系。
かっこよかったよー。


魚を獲るいろいろなワナ。さっき食べたウナギなんかも撮れるのかー?


村人たちが食べる分くらい獲ってた時期は、自給自足でほのぼのしていたのかな。


こういうの見てどう思いますか? 私の耳には、魚の子供たちが入っちゃって、外で
お母さんが「マス男!フナ介!」と叫んでいる声とか、逆に子供らが外にいて、
「とうちゃん!!!」と泣いている声なんかが想像されてしまうのです。。。(´;ω;`)


別室には島木赤彦の展示室がありました。ここは「赤彦記念館」でもあるのです。


島木赤彦は諏訪出身の歌人。正岡子規、伊藤左千夫などから連なる「アララギ派」です。

私は伊藤左千夫の小説は大好きなんですが、俳句や短歌はあまり関心がありません。

展示によると、彼は14歳で小学校の教員になっており、33歳で校長になっています。
ひと昔前の話ですが、いまの感覚からすると若いというか早熟というか。平均寿命が
違いますからねー。

私の子供の頃は、まだ「人生50年」なんて言葉が残っていて、50代はもうじじばばでした。
だって20代前半で親になれば、孫のいる世代ですしね。校長先生はおじーさんに見えて
いましたが、定年が55歳だったんだから、50代前半だったんですね。

「教師生活24年!」が決まり文句の町田先生は初老に見えますが、22歳で教師になった
のなら、あれはまだ40代半ばだったのでしょうw 「ど根性ガエル」わかりますか?

もうちょっと前に遡れば、坂本龍馬は27歳で神戸海軍塾塾頭になっています。その龍馬の
煙草を買いに走ったという逸話が残っている中江兆民は、28歳で東京外国語学校の
校長になっています。

ついでに西部開拓時代、『大草原の小さな家』のローラ・インガルスは15歳で学校の
先生になっています。

むかしの人は、密度の濃い人生を送っていたのかな。