旧林家、一番奥には洋館があります。明治時代の建物には、このように西洋風の離れを
作ることがよくありました。
洋館といっても、このように素晴らしい寄木細工が施されていたりします。
100年も経つと、天井の鮮やかな金唐革紙もこのようにすっかり黒ずんでしまいました。
よおく見て、そして明るい色の装飾を想像してみてください^^
日が当たってポカポカするので、案内の方としばらくお話。映画の『野麦峠』や
『女工哀史』などで当時の女工たちがひどい目にあっている姿が有名になっていますが、
そんな虐待が続いていたわけではないし、熟練した女工の賃金は、学校の校長先生よりも
高かったと語っていました。
たしかにこの間、富岡製糸場で見た資料によれば、5年任期の年収は毎年必ず上がる
ようになっていて、地元に帰れば家が一軒建つような収入だったし、ここの工場が
一日に12時間労働だったとしても、地方の貧農では夜明けから夜遅くまで、もっと
労働時間は長かったから、きちんとした設備の工場で働いて暮らせるのであれば、むしろ
少女たちは喜んでいたとか?
「岡谷には何もないんですよ。だから工場を誘致したんです。製糸工場がなくなったら、
いまは精密機械の工場で頑張っているんです。そうするしかないんですよ」と自嘲めいた
自慢のような?そういえば伊那の「きりん」で飲んだ常連さんたちも精密機械の話を
していたなあ。。。
洋館を見たあとは、渡り廊下を歩いて正門のほうに戻ります。
蔵の上のほうに、珍しく窓があるでしょう?繭は乾燥させなければならないので、
このように風通しをよくした蔵にしなければならないそうです。
台所の床にあるのは「何かわかりますか?」と聞かれました。 わかりますぅ~^^
板を開ければ、下は貯蔵庫。むかしは冷蔵庫なんてなかったし、地下室みたいになって
いる土の中は、夏はひんやり、冬は少し暖かい物置になるのです。田舎のおば~ちゃんち
にありましたからね。
というわけで、「広いので40分はかかります」と言われた見物、あっという間に
1時間以上が経ってしまいました。とても楽しく見物とお話をさせて頂き、感謝の
言葉で挨拶すると、逆に「喜んでもらえると嬉しいです」というお言葉を頂きました。
というわけで3館共通入館券を無事コンプリート。
駅前で最後の一服。
ム? 美しいが 生まれるまち 岡谷?
美しいけれど~、生まれるって何よ、子供? 岡谷~???
あー、「美しいが」の「が」は、「けれどもさ~」という意味じゃないのか。
「美しい何かが、生まれるところなんだよ、岡谷」ってことなの?
左上の説明を見てわかったよ。
変な日本語使うなってのw
甲府を通過するときに、富士山が見えました。またあっちにも行きたいな。