酒屋で見つけたワイン、その名もズバリ「ミシェル・ド・モンテーニュ」!
私は昔、英国の大学に行き、入学式の10日前頃に寮に入ったのですが、毎日モンテーニュの
「エセー」を読んでいたら、入学式が終わっていました・・・(^益^)w
モンテーニュ自身がひきこもって書いた大作なんだから、ひきこもって読むのが正しい^^
それはそれで没頭するほどに面白かったのですが、そのあとに読んだオーストリアの
作家ステファン・ツヴァイクが彼について書いた評論に感動しました。
モンテーニュの生きた時代は宗教戦争の真っ只中。カトリックとプロテスタントが血で血を
洗う抗争がエンドレス。国と国との戦争じゃありません。街中で、隣近所で、行き交う人
同志が恐ろしい敵対関係にあったのです。お互いが「異端!」ときたもんだw
そのモンテーニュが書いた「エセー」にツヴァイクが反応したのは、ユダヤ系だった
彼がナチの恐怖から逃れるために、ひとりカバンひとつで英国に亡命し、そこも危なく
なってアメリカに逃げ、そこからまたブラジルに避難するという悲惨な人生を送る中で、
逆境の中で生きた先人の心の強さに支えを見い出したからです。
以下、モンテーニュの言葉にツヴァイクが感動したところに私が感動したところです。
時代と場所を越えて、心の連帯が生まれた言葉です。
生の高貴な価値が、我々の平和が、生まれ持った権利が、この世の生活をより純粋に、より美しく、より正しくするすべてのものが、1ダースほどの狂信家とイデオローグの熱狂の犠牲にされてしまうこのような時代には、自分の人間性を時代のために失いたくないと思う人間にとって、すべての問題は、いかにして自由であり続けるか、というただひとつの問題に帰するのである。
世をあげての奴隷根性の時代に、イデオロギーや党派から魂と自由を救おうと努めたからこそ、彼は今日、他のどの芸術家よりも兄弟のように我々の身近にあるのである。我々が他の誰よりも彼を尊敬し、愛するとすれば、それは彼が他の誰よりも、「自己であり続ける」という、生の最高の術に献身したからなのである。
今日の私を感激させ、モンテーニュに没頭せしめるものは、彼が現代と同じような時代にあって、いかにして自分の心の自由を得たかということ、また、我々が彼を読むことによって、どれほど彼という模範に強められうるかということ、ただこれだけである。
彼を世間から遠ざけるものは何一つなかったのである。彼は世間を愛した。そして、「生を愛し、神が喜んで与えてくれるままにそれを利用」した。自己を大切にしたからといって、決して孤立したわけではなく、逆に何千もの友を得たのである。自分自身の生活を書き記すものはすべての人間のために生き、自分の時代を描き出す者は永遠に生きるのである。
私がモンテーニュの全作品のなかに見出した不動の主張・公式がただ一つだけあった。それは「この世で最も偉大なことは自己の独立を知ることである」というものであった。人間を高貴にするものは、外面的な地位や、生まれのよさや、すぐれた才能ではない。それは、自己の人格を守り、自己の生を生きることにどの程度成功したかによって決まることなのだ。
彼の判断はいかなる偏見によっても濁らされておらず、「自分の思い描いた考えに従って他人を評価するという、世にある誤りに陥ることは決してなかった」そして、生まれながらに立派な魂を、一番だいなしにし、麻痺させてしまう野蛮な力と狂暴とに対して、警告を発したのであった。
これを見落とさないことが大切である。なぜなら、それは人間が常に、いかなる時代にも自由でありうることを証明するものだからである。… しかし、人間的なものは不変である。狂信の時代、「魔女の槌」や「火刑裁判所」や異端糺問の時代にも、常に人間的な人はいたのだ。そうしたものも、エラスムスやモンテーニュやカステリオのような人たちの明晰さと人間性を乱すことは一瞬たりともできなかったのだ。ソルボンヌの教授、宗教会議の人々、ローマ教皇の使節、ツヴイングリやカルヴァン一派といった他の人たちが「われわれが真理を知っている」と告げ知らせたのに対し、モンテーニュの評決は「私は何を知っているか」ということだったのである。彼らが車裂きや追放の刑をもって「汝かく生くべし」と強制したのに対し、モンテーニュは「私の思想ではなく、汝自身の思想を持て!汝自身の生を生きよ!私に盲従せず、いつも自由であれ!」と忠告したのであった。
自ら自由に思考する者は、地上のすべての自由を尊重するのである。
つらいことがあったとき、逆境の中でピンチになったとき、こういう言葉は大きな支えに
なります。まだそんなピンチになっていないときでも、読んでおけばワクチンのように
効いて強靭な心を作ってくれるではないですかー。
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