さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

余市湾 過去の栄光

2014年10月07日 | 北海道シリーズ



こちらは旧福原漁場の石蔵です。鰊粕や身欠き鰊などを保管していたとか。



中に入ると、当時の漁に使った道具などが展示されていました。



鰊漁は、こんなふうにして二艘の船が網を垂らし、鰊の大群をガサッと捕まえた
のです。よく持ち上げられたなぁ~。

鰊の大群が産卵のために押し寄せるのは「群来」(くき)と言われ、白子で海が白く
なることは前に書きましたね。

むかしは毎年来ていたのですが、鰊はだんだん減って、昭和29年が最後だった
そうです。余市川の河口まで大群が押し寄せて、子供たちがつかみ放題だった
そうです。



弁財船(またの名を北前船)の模型がありました。これは18世紀になった頃、
北陸地方の港を根拠地として北海道から日本海沿岸を九州まで渡り、瀬戸内海に
入って大阪まで交易に当たった商業船なのです。(山陰・北陸日本海」シリーズの
富山のところでも取り上げました)

「廻船問屋」って、時代劇でよく出てくる名前ですよねえ^^



最初は帆船でしたが、明治の頃に蒸気船になり、余市湾には数十隻も停泊していた
ときがあったとか。

新潟の米を大阪に運び、そちらからは北海道で売りさばく酒、砂糖、味噌、醤油や
日用雑貨品を仕入れたとか。そしてこちらからは身欠き鰊や、鰊を搾った魚粕を
積み込み、日本中に運びました。これは農業の肥料になったのです。

そして明治に入り、輸送手段はより確実な鉄道に代わられ、弁財船は消えて
いったのです。



鰊を加工した大きな道具も展示されていました。



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