さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

ムーア人の歴史 8

2009年11月18日 | ポルトガル

ムーアの城壁にやってきています。ムーア人とはアラブ系のイスラム教徒です。

スペイン、ポルトガルのあるこのイベリア半島は、8世紀ごろに北西アフリカに住んでいたムーア人の侵略を受け、その後800年あまりもイスラムの支配下にありました。

だから建築物などにはイスラムの影響がはっきり出ていたりします。

日本では、ホテルの内装に、よくイスラム建築の影響が現れている、と言った人がいます(^益^;

キリスト教徒による支配権の奪回運動が続き、十字軍と同じ様にイスラム教対キリスト教の争いがずっと続いていたのです。

ちなみにムーア人としてもっとも有名な人は、シェイクスピア劇の主人公である「オセロ」でしょう。彼はヴェネツィアの貴族で、白人で美人の奥さんをもらってやっかまれるのです。やっかまれる心配がなくてよかったよかった…か?(^^;

地中海一帯に広がっていたアラブ人(イスラム教徒)の海洋技術は素晴らしく、その影響を受けたポルトガル人が外洋に乗り出して地理上の発見を次々になしとげ、黄金の大航海時代を迎えることになりました。ポルトガルはヨーロッパ大陸から大西洋に乗り出す、最先端に位置しておりましたからね^^

山のなかにお城が建っています。オバケでも出そう?それともお姫様が「助けてェ~!」と叫んでいるかな^^;

このページの画像は、すべてクリックしてお楽しみ下さい~(^益^)b

 


ムーアの城跡 7

2009年11月14日 | ポルトガル

さて王宮を見物したあとは、バスに乗って「ムーアの城跡」を見に行った。

これは7~8世紀ごろにムーア人によって山の上に建てられた巨大な城のあとで、残存しているその城壁は万里の長城を思い出させます。そこからの眺めはシントラの街を一望でき、さらに大西洋まで見ることができるとか。やっぱり高いところに登って雄大な景色を見ないとねェ~(^益^)b

さて入り口から「山登り」を始めて、しばらくするとこんな城壁の廃墟が見えてきました。途中では遺跡の発掘グループも見かけましたよ。

さてついに頂上に近づいてきたようです。城の内部であったところをずっと通ってきたので、全然外の様子はわかりません。道中は森の中を歩いているようでとても静か。生い茂った木々の枝葉が空を隠し、風も通らない道です。やがてその視界が開け、ポルトガルの旗が強い風にパタパタと音を立てているではないでーすか^^

おおお、山の稜線にずっと城壁が続いていて、さらにずっと先に塔が見えるではないか。あそこまで行かねばならぬが、ちと大変だぞぉ~(^益^;

そおれ、みなさん、見ているだけなら楽だなぁ~(^^)w 陽射しは強く、額には汗。シャツは脱いで中のTシャツ一枚になったがまだ暑く、ズボンからTシャツのすそを出したゾ。しかし風は気持ちよく、空気はカラッとしています。昨日の昼間は、まだ暗~い英国にいたなんて、もうずっと昔のよう。。。

さっきまでいたシントラの王宮が下に見えるではないかね。そしてはるか先には大西洋が…。

みなさん、こんなところまで来てしまいました~ L(゜益゜L)♪

そう、旅の醍醐味は、この感覚がたまらないからなのです。。。
 そりゃ酒もしこたま飲むけどさ…。


シントラの王宮 6

2009年11月11日 | ポルトガル

シントラの王宮

 

シントラの王宮の様子を、ビデオクリップにまとめました。どうぞお楽しみ下さい~(^益^)b

 

追伸: こんな動画の貼り付けができると知って早速やってみましたが、重くてダメ。

そもそもこのサイト自体が重くて、入力するにしても、ページのスクロールでさえも重いですね。

YouTubeに動画を投稿すると画質が落ちます。それをこちらにリンクするとさらに劣化します。重くて動きがカクカクするほどw(゜゜)w

というわけで、どうぞこちらのページからご覧下さるようお勧めします~(^益^;

http://www.youtube.com/user/sakichi21#p/a/u/0/8wgHpynj-Eo


シントラへ 5

2009年11月07日 | ポルトガル

リスボンに着いた翌日は、早速シントラへ向った。それはリスボンから西へ列車で30分ほどのところ。

 ポルトガルの位置を確認しましょう。ご覧下さい、ユーラシア大陸最西端です。ちなみにヨーロッパ最西端はアイルランドですが、その島の西海岸にも行ったことがありますので、それはまたいずれ~(^益^)b

さてポルトガル南部の地図です。リスボンから列車に乗ってシントラへ行き、そこを見物したあと、この旅のひとつの目的であるユーラシア大陸最西端であるロカ岬へバスで向いました。それはこちら日本から見て単なる「一番向こうのはじっこ」というだけではありません。

ポルトガルは、もうまもなく500年も大昔になりますが、ヨーロッパで大航海時代の幕を切って落とした国であります。ここから大西洋に出て行き、はるか南のアフリカをぐるりと回ってインドへ行き、そこから中国、そしてはるばる日本までやってきたのです。種子島にたどり着いて鉄砲をもたらしたのは有名な話ですね。彼らの代表は信長や秀吉にも会ったし、イエズス会代表のザビエルはここから派遣されて日本で布教活動をしたわけです。そんなはるか昔の探検の旅の始まりに思いを馳せながら、大西洋を眺めてみたいものだと思っていたんです~(^益^)b

さてシントラの駅に到着すると、さすが世界遺産の街、様々な見所を回る巡回バスが出ておりました。しかし流石にロカ岬へ行くバスは本数が極端に少ない。あちらは物好きが行く所ですからね^^ というわけで、まずは先に拠点となるレプブリカ広場へバスでやってきました。9月に入ったので、観光客はとても少なかったです。

ここが王宮です。14世紀に建てられた夏の離宮だそうです。「アラブの間」や「中国の間」といったエキゾチックな部屋もある豪華な造り。次々に建て増しされた姿はイスラム的な印象を受けます。日本人ですから、古い温泉旅館を連想させますねェ(^益^)w

天井の絵をご覧下さい。こちらは「白鳥の間」です。優雅でしょう?写真を撮ってもよかったんですよォ~^^


リスボンのレストラン 4

2009年11月05日 | ポルトガル

リスボン市内中心部、ロシオ広場に面したホテルについたのは20時を過ぎていました。チェック・インを済ませると部屋に荷物を置き、すぐに食事に出る。

地面のタイルの模様に注目下さい^^ さすがにここは繁華街。広場の近くには立派なレストランが並んでいます。しかーし、こういう観光客向けのところは概してポピュラーなメニューが写真で並んでいたりして、値段は高く、そしてあんまり美味しくない^^; テーブルに座っている客を見れば、おそらくは米国人か、コーラを飲んでたりします。わたしはそういうところを素通りし、観光客の少ない裏通りを歩き、地元民がちらほらと入っている店を探します。

ほらすぐにあるじゃないですか(^益^)b いや感じのいいポルトガル娘がテキパキと働いている姿がチラと見えたからって決めたわけじゃありません^^; しかしポルトガル人は美女が多い。米国のように巨大化が進んでいる英国から来た人はみんな同じように思うかもしれませんがw(^益^)w でもこちらの人々は、同じ地中海に住むヨーロッパ人のスペイン人やイタリア人のように、ラテン系の華やかさや明るさはあまり感じられず、一般的に声は大きくないし、自己主張もあまり強くなさそう。むしろ控え目な印象を受けるので、少し日本人に似たところがあるかもしれません。

選んだ料理は鯛のグリルでした。パリッと焼いた魚をザクッと食べる。英国のF&Cが続いていたので、やはりいいねえ。ちなみに添えられていたじゃがいもが旨かった。メイクイーン系のしっとりとしたじゃがいもが塩茹でにされていた。何より食感と風味が良い。同じじゃがいもでも・・・

(^益^; ワインも進みました~♪