漁村群の旧青山家。「御殿」と呼ばれるだけあって風格があります。
開放感があって夏は涼しいでしょうが、冬はすごく寒そう。
梯子のような階段があって、ぐるりと2階があります。
小学生の団体とぶつかってしまいました^^;
火の前に座っているヲバーサンにお茶を勧められましたが、3時間でも全部ゆっくり
回れないくらいの建物群ですから、少ないバスの時間を考えて遠慮することに。
別の建物には、漁船の倉庫がありました。かなりデカイよ。
こちらは米蔵。にしん漁のときには、何百人と言う漁師と浜で働く人たちが
ワンサカといたので、食事も大変なものだったのでしょう。鍋なんて五右衛門風呂
みたいなんだよ^^
さて漁村群も終り、これから市街地群に入ってゆきます。ここで少し雨がパラついて
きました。そこでお寺の軒先で雨宿り。まるでほんとの旅先みたいな気分に。
こちらは旧ソーケシュオマベツ駅逓所。「えきていじょ」とは、明治から昭和初期まで、
北海道辺地の交通補助機関として、宿泊・人馬継立・郵便などの業務を行った場所だ
そうです。
数々の旅人たちが、ここに泊まっていったのでしょうね。私はこういう流れ者が
通過してゆく場所を見るとウズウズします。旅が仕事になればなあ~。
コロコロ列車^^ うしろの建物は「たたみ倉」だそうです。
農村群が終わり、これから漁村群に入って行きます。途中で「こどもの広場」が
ありました。開拓の村は、よく小学生の校外学習で使われるそうです。なのでたまに
団体さんたちに出くわしますw 男女一緒になったグループで見学しておりますね。
好きな子と一緒に班になったら嬉しいだろな~^^
さてここから漁村群。うしろの立派な邸宅は、小樽から持ってきた旧青山家の住宅。
いわゆる「にしん御殿」です。そのすごさは前の小樽の記事をご覧下さい~^^
漁師の家です。ここはマネキンではなく、おばちゃんが漁網をつくろう実演を
しておりました。小学生に話しかけていましたよ^^
内部の囲炉裏。い~感じですねェ~。
こちらは古いストーブ。近寄ると顔が熱くなって、背中が寒いからトリの丸焼きみたいに
回るしかないんだよね(^益^;
明治時代の蚕種製造所です。なかなか立派な木造建築。
着物が素敵な、なかなか色っぽいマネキンであります(*´Д`)ノシ
繊細な機械。
機械庫には、様々楽しそうな機械が並んでおりました。
農家の住宅です。ちょっと憧れてしまいますが、メインテナンスが大変かも。
おお、囲炉裏があって風情がありますが、冬はとても寒いだろうし、何より
掃除が毎日大変そうだなあw
台所です。よく働く奥さんが動いていそう。
天井もですが、床の間がすごく立派。刀が置いてあるところを見ると、もと武士の
家だったのでしょう。幕末には多くの武士階級が仕事を失い、そいつらが職場を
求めて東北の寒村や北海道に移り住んでいったのです。
慣れない寒い土地で、慣れない農作業は過酷だったでしょう。でも北海道では
先住民族をけちらした侵略軍だったのですが。ただきっと「全員同じ」ではない。
先住民族を人間扱いせずに虐殺した者、それを批判した者、話し合いで共生の道を
探ろうと努力した者、いろいろいたはずなのです。
「開拓の勇者」、「侵略者」、「アイヌ民族なんてもういない」とか、いろいろ
単純化して色分けする人はいつでもおりますが…。
山村の建物エリアに入ってきました。こちらは森林鉄道機関庫。
中に入ると材木を運ぶカワイイ機関車がありました。つっても厳しい雪のなかを
走ったりしたんでしょうねェ。
この広い森林エリアを歩いていて、誰にも会いませんでした。ゆっくり見られて
とてもよい(^益^)b
さきほどYouTubeで、寝台特急はやぶさラストランの、駅のホームの様子を見ました。
撮り鉄たちが写真を取ろうと、押し合いへし合い「どけー!どけー!」とお互いに
罵倒、怒号、喚き合い。すごいねー。
見ていると狂った集団に思えましたが、列車が走り出すと多くのファンが手を振って
「ありがとー!ありがとー!」と列車に(?!)声をかけていました。そういった
素朴な人たちも多いのでしょうねェ。
この素朴なログハウスは、平造材部飯場。雪に埋もれたら寒いでしょ、コレw
薪を燃やして暖をとるのも、2~3日なら体験してみたいけど^^;
ぐはー。ぎっちりで雑魚寝。絶対おじさん臭いと思う。寝返りをうったら目の前に
隣の人の顔。うげー。みんな疲れていてイビキもすごいハズ。ううう。
ちなみにカメラの性能が飛躍的に向上しているので、フラッシュを焚かないでも
薄暗いところでこんなにうつるんですー。
大正時代の酪農畜舎。サイロが北海道らしいよね。
開拓民の小屋。素朴~。
狭い~^^; かわゆい奥さんと一緒なら嬉しいかもしれませんが、キツイ女房と
一緒だったら逃げ場もないってか。
そのすぐ隣には明治時代の金持ち農家の家。大工の手間がかかっています。
おとなしくて優しい奥さんと上の小屋、口うるさい奥さんと下のお屋敷。どっちが
いいかしら?そりゃあ~即決で粗末な小屋ですよねえ~^^;
今回からしばらく、9月に訪れた「北海道開拓の村」で写した画像をご紹介します。
ここは札幌郊外にある野外博物館で、明治から昭和にかけて建築された北海道
各地の建造物を移築しているのです。
北海道各地の民俗博物館を訪れますと、アイヌをはじめとした北方先住民族の歴史を
学ぶことが出来ます。そうすると「開拓」という言葉は、一方から見れば「侵略」
とも表現できることを、我々は忘れるべきではないでしょう。
さて上の画像は入り口付近にあった「旧近藤染舗」。大正時代の染物屋さんです。
中にはご覧の通り、人形が展示されていたりします。人が入ってくると、センサーで
感知しておしゃべりを始めたりするんですよ^^;
こちらは旧札幌農学校の寄宿舎。北海道には最初「屯田兵」という「侵略軍」が
乗りこんでいき、「開拓」という「植民地化」が始まり、やがて農学校が作られた
わけですね。
ここの初代校長は「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士。新瀬戸稲造や
内村鑑三といった錚々たる卒業生を輩出します。
寮とか合宿所といった団体生活の場は、どうも合わなくてキライw
こちら職員室。もっともキライな場所だなあ~^^;
しかしこんなにくっついて仕事して、教員だって合わない同僚と隣だったりしたら
つらいだろうねェ~w
こちら学生の寝泊まりする部屋。寒かっただろうなあー。でも頑張って勉強したん
だろうねえ。親元から遠く離れて生活し、ホームシックで枕を濡らすことも沢山
あったのでしょう。
こちらは旧札幌師範学校武道場。こおゆうのも俺は遠いー。へたれですしね^^;