グーグルマップで「伊那市創造館」というのがあるので、検索してみたらどうやら
私の好きな「郷土資料館」系のものだということなので、行ってみた^^
おおお、すごく立派な建物ではな~い~かっ。中に入るのは無料でした。中高生らが
勉強していたので、どうやら図書館みたい?入るとすぐに、ここの説明がありました。
ここは戦前に製紙業を営んでいた地元のお金持ちが、伊那地域には図書館がないという
理由から私財を投じて建てたそうです。立派な洋館だから、戦後には進駐軍に接収された
そうですw
建物の老朽化と、各地方自治体が図書館を建てたため、2004年に閉館。その後改装されて、
2010年に生涯学習施設、展示室などを整備してオープンしたそうです。まだ新しい。
「ヒマを作らう」!!! うん~♪ ヒマにしてあちこちブラブラして、夜は酒を
飲んで~~♪って、空に軍機が飛んでいるぞ??? 5秒くらい呆然としましたw
こんな出土品の展示室もありました。
縄文だの弥生だのの時代に(アバウトだな^^;)これを作ってた人がいたとー。
ちなみに食っていける限り、昔の人々はわりとブラブラしていたとか?趣味で好きな
ことをしたり、おしゃべりをしたりと、のんびり生活を楽しんでいたとか。食って
いければそれでいいなら、のんびりした人生もいいかなあ。
でも現代は、まず物欲がありますからね。それが限りなく刺激されるので、新型の
車、新機能を持ったスマホ、新しい服や靴、快適な住宅、あちこちでおいしいもの食べて、
となれば、お金はいくらあっても足りないので、それを得るためにストレスのたまる
苦役(勉強とか仕事とか)を延々と続けなければならない。
縄文人に美味い酒を飲ませたら、「こりゃ旨いね!」と言うだろう。でもそれを手に
入れるための代償を説明したら、きっと「それならいらないよ」と言いそう。でも
俺は、物欲を捨てて自由に生きる、とまではできそうにないねェ。。。
さてそんな生き方をした人が、ここ伊那にいました。「漂泊の俳人」と呼ばれた
井上井月という人です。その人の特別展示室がありました。
街道のつきあたりにあるのが、伊那部宿旧井澤家です。高遠藩内でも屈指の豪農として
知られ、代々造り酒屋を営んでいたのが井澤家でした。名高い井澤のお屋敷は、宿場内で
唯一の破風屋であり、 建坪も最大だったとのことです。
私はだいたい訪れる土地の名所を検索します。今回で言えば「伊那・観光」とか。
しかーし、お城や博物館、道の駅などは出ますが、ここは出なかった。マイナー過ぎる
というか、人気ないってか。ここを発見したのは、グーグルマップで見つけたのです。
地図なんですが、へたな観光ガイドより、こういうのが出てくるぞ。
入館料300円。入っても誰もいないので、「すみませーん!おじゃましまーす!」と
大声を出すと、ようやくおじーさんが奥から出てきました^^;
母屋の真ん中に立派な井戸がある。
上を見れば、柱もすごいぞ。
こんなところでお燗を一杯やりたいねェ。
ここは2階だったっけな。
なんか生活用品などが雑然と置かれていました。
使用人などがたくさんいたんでしょうねェ。
上座敷は造りが立派でしたが、なんかいろいろモノがありすぎてなあ^^;
さあて、少し何か食べないとなあ。古い食堂があったけれど、「ソースかつ丼」なんぞは
少し量が多すぎる気がする。古い喫茶店でもあれば、そっちの軽食のほうがいいか?
では駅のほうに戻るとしよう。たしか駅前に古~い喫茶店があったぞ。
コレコレ。喫茶タイム? やってるぞ^^
おばーちゃんのワンオペ。ありがちなんですが、お友達のおばーさんが来ていて
おしゃべりをしていました。客=σ(゚∀゚ )オレ が来てしまったので、「じゃ♪」と
帰ってしまいました。なんか申し訳ない気分^^;
「何にします?」と聞くので、「メニューはありますか?」と聞くと、「メニュー
なんてものはないのよ。聞いて♪」ときたもんだ。昼時なので、「何か食べる?
食べるもの、ごはんないのよ。サンドイッチなら」とおっしゃるので、ちょうどそんな
気分だったので、それを注文しました。
なかなかおいしいサンドイッチでした。むかし我がとうちゃんは、サンドイッチが
好きで、よく塩をふっていました。せっかく出してくれたので、私も塩をふって
食べてみました。ナイスなしょっぱさ(^益^)w
諏訪から今回の最終目的地、伊那へ向かいます。ここ岡谷で電車を乗り換え。
この日の朝、朝食を食べたあとに体がだるくて少し横になる。頭も重い。むむ!
なんか調子悪いぞ。。。? マズイ。コロナに感染してたらマズイ! 飲み歩いている
もん。ウィルスばらまいちゃってる? そして今夜の酒も楽しみにしているんだもん。
発熱なんてしたら困るなー。
ふと気がつきました。ただの二日酔いだよ。。。 昼までにはすっかり治りました^^;
名古屋方面へ向かう中央本線。後ろに見えている高架線は、線路と並行した高速道路。
ここ岡谷で松本方面へ向かうルートと名古屋方面へ向かうルートに別れるのです。
緑と山の風景に、心は浮き浮き。
おお、懐かしの伊那駅前。住むなら城がある=文化と歴史のある城下町、あまり大き
過ぎず、繁華街もあるが歩いて回れるくらいの規模、熊本、松本、会津、函館なんぞが
お気に入りなんですが、もっとローカルな気仙沼や石巻、そしてここ伊那が最近は
注目。とってもいい飲み屋が多いってことなんだけど^^;
越後屋の隣にあるのは廃ビルか?駅のロータリーに面している一等地なのになあ。
こんなんはお値段どうなんでしょ。捨て値で売ってくれないかなー。
普段私は朝食をほとんど食べませんが、ホテルの朝食をしっかり食べたので、昼は少し
遅くてもいいだろうと思い、まずは伊那の町を歩くことにしました。
伊那は宿場町。古い建物などが残っている街道を歩いてみました。
伊那部宿(いなべじゅく)は、三州街道(伊那街道)の宿場町。飯田城下と塩尻宿の
中間にあり、ここから高遠城下を経て甲州街道へ、また権兵衛峠を越えて中仙道へ
通じる交通の要所だったと書かれております。今は「不便なとこ」だけどなあ~。
1864年には水戸浪士800余勢がここの宿で昼食をとり、旅籠の嫁娘たちの接待により
無事通過した、という記録が残っているそうです。娘さんたち~。いまさきち・が
立ち寄っていますよォ~~www
よおく目を凝らせば、水戸浪士800余勢が歩いている姿が見えないか。
むむ? 碑がありますぞ。
明治19年、「伊那郵便局発祥の地」だそうです。
博物館もゆっくり見たし、ホテルに帰って温泉だ。そして夜の酒に備えるぞ。
上の画像からものの10分くらいで、ま~た雨が降り出す。行きと同じ愛の休憩所あたりだ。
「うわ、急に雨がひどくなったね。ちょっと休もうか♪」なんて出来ないひとり旅w
結局ザーザー降りになって、ふたたび足が濡れてホテルに帰る。さっそく温泉に入る。
風呂から外を見ると、太陽が顔を出して晴れているではないかwww
開店時間早々に「とんちん」へ。なつかしさに浸りながら、ひとりの常連さんと飲む。
時間制飲み放題なので、どんどん飲む♪ 長野にはほとんどコロナ感染者がいないせいか、
店の雰囲気に変わりはない。甲府のくさ笛では席をひとつおきにしたり、アクリル板で
ついたてをしたりしていたが、ここは普通にやっているぞ。あれ、ほとんど意味ない。
酒飲めばみんなワイワイやるからなあ~^^;
地酒をどんどん飲む。最初は「どれにしますか?」なんて聞かれるが、どうせ全部
飲むんですー。んで気に入ったほうを繰り返し飲むわけだ。
最初の1時間が1500円で、それから30分おきに加算される。いちおうは時間を気にして
あとどれくらいで・・・なんて考えるのだが、結局は酔っ払って時間はどうでもよく
なるのだ。
席はいっぱいになり、うしろに座ったサラリーマンふたりと話が始まる。ひとりは
14年間も香港勤務だったそうだ。大きな会社なんですなあ。酒は飲み放題だから
「まあ飲んで飲んで」はやらず、それぞれ注文した料理を「食って食って」となる。
そのうちにいつも笑顔の店長がやってきて、2軒目の話になり、4人で隣のスナックに
行くことに。店長、店はいーのかよwww(いつもそうだ)
おおお、人気店なのか、カウンターはいっぱいで、最初はテーブル席。
んで空いたらカウンターに移動。サラリーマンの苦労話なんかを聞いたような。。。
右から2番目のとんちん店長は、ずっとマスクをあんなふうにはずしていましたw
実は途中から記憶が飛んで、まったく覚えていません。翌日にカメラを見たら、自分が
写っていました。ママさんが撮ったのでしょう。んでサラリーマンの名刺もポケットに
ありました。もらってもなあ。。。
「諏訪湖博物館・赤彦記念館」に到着です。途中のどしゃ降りは大変だった。
こういうご時世のため、どこから来たのか、電話番号などを書かされる。「東京」と
書くのが少し嫌がられそうな気持ちになる。でも新潟のときのようなあからさまな
警戒感、不快感は感じられなかった。昨夜の甲府の飲み屋でも「東京から来ました」と
カミングアウトしたけれど、全然気にしていない雰囲気でした。たまたまか?
ニュースでは日本のあちこちで嫌がらせがあったという話が出たりする。俺もちらほら
と経験する。もちろん「一部でしょ」ということはわかっているのですが、それでも
印象や記憶が残りますよねェ。。。
オオワシがお出迎え。何年か前に諏訪湖に飛来したやつだそうです。でかいw
カエルさんは喉を動かして「ゲコゲコ・・・」と言っていました。
「ピョン吉」、「デメタン」、「べし」、みんなわかる?
遠く湖の向こうから見るとでっかい建物だと思っていましたが、中に入ってみると
意外とこんなもんか?という印象でした。
一階の特別展示室で、たっぷりと「諏訪湖での漁」というビデオを見ました。冬に
諏訪湖が氷結したときに、仕掛けておいた魚のワナです。なにやら石をガーン!と
やると魚が驚いて籠のなかに入ってしまい、それを引き上げるとか。
いろんなスケート靴が並んでいました。何せここは日本での「スケート発祥の地」だ
そうです。なんか仙台でもそんな展示があったような気がするが。。。むかしは
草履だとか下駄なんかにも歯をつけていたんですねェ。
なんかいいよね^^
金メダルの清水はこちらの出身なの? ちなみに金メダルを受け取るとき、彼は
真ん中で1段高い台に立っていても、それでも両サイドの外国人より背が低かった。
おおお、島崎京子さんの靴!ちなみにライバルの岡崎朋美さんは、かわいい顔して
メダリストになりました。それまで日本のトップだった島崎さんは、残念ながら入賞
どまり。でもね、きっちり自己ベストに近い数字をたたき出し、すごい貫禄でした。
なんつーか、朋美ちゃんがアイドル系で大人気だったのですが、島崎さんはスケ番系。
かっこよかったよー。
魚を獲るいろいろなワナ。さっき食べたウナギなんかも撮れるのかー?
村人たちが食べる分くらい獲ってた時期は、自給自足でほのぼのしていたのかな。
こういうの見てどう思いますか? 私の耳には、魚の子供たちが入っちゃって、外で
お母さんが「マス男!フナ介!」と叫んでいる声とか、逆に子供らが外にいて、
「とうちゃん!!!」と泣いている声なんかが想像されてしまうのです。。。(´;ω;`)
別室には島木赤彦の展示室がありました。ここは「赤彦記念館」でもあるのです。
島木赤彦は諏訪出身の歌人。正岡子規、伊藤左千夫などから連なる「アララギ派」です。
私は伊藤左千夫の小説は大好きなんですが、俳句や短歌はあまり関心がありません。
展示によると、彼は14歳で小学校の教員になっており、33歳で校長になっています。
ひと昔前の話ですが、いまの感覚からすると若いというか早熟というか。平均寿命が
違いますからねー。
私の子供の頃は、まだ「人生50年」なんて言葉が残っていて、50代はもうじじばばでした。
だって20代前半で親になれば、孫のいる世代ですしね。校長先生はおじーさんに見えて
いましたが、定年が55歳だったんだから、50代前半だったんですね。
「教師生活24年!」が決まり文句の町田先生は初老に見えますが、22歳で教師になった
のなら、あれはまだ40代半ばだったのでしょうw 「ど根性ガエル」わかりますか?
もうちょっと前に遡れば、坂本龍馬は27歳で神戸海軍塾塾頭になっています。その龍馬の
煙草を買いに走ったという逸話が残っている中江兆民は、28歳で東京外国語学校の
校長になっています。
ついでに西部開拓時代、『大草原の小さな家』のローラ・インガルスは15歳で学校の
先生になっています。
むかしの人は、密度の濃い人生を送っていたのかな。