さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

伊那市創造館

2020年07月18日 | 関東甲信越


グーグルマップで「伊那市創造館」というのがあるので、検索してみたらどうやら
私の好きな「郷土資料館」系のものだということなので、行ってみた^^


おおお、すごく立派な建物ではな~い~かっ。中に入るのは無料でした。中高生らが
勉強していたので、どうやら図書館みたい?入るとすぐに、ここの説明がありました。

ここは戦前に製紙業を営んでいた地元のお金持ちが、伊那地域には図書館がないという
理由から私財を投じて建てたそうです。立派な洋館だから、戦後には進駐軍に接収された
そうですw 

建物の老朽化と、各地方自治体が図書館を建てたため、2004年に閉館。その後改装されて、
2010年に生涯学習施設、展示室などを整備してオープンしたそうです。まだ新しい。


「ヒマを作らう」!!! うん~♪ ヒマにしてあちこちブラブラして、夜は酒を
飲んで~~♪って、空に軍機が飛んでいるぞ??? 5秒くらい呆然としましたw


こんな出土品の展示室もありました。


縄文だの弥生だのの時代に(アバウトだな^^;)これを作ってた人がいたとー。

ちなみに食っていける限り、昔の人々はわりとブラブラしていたとか?趣味で好きな
ことをしたり、おしゃべりをしたりと、のんびり生活を楽しんでいたとか。食って
いければそれでいいなら、のんびりした人生もいいかなあ。

でも現代は、まず物欲がありますからね。それが限りなく刺激されるので、新型の
車、新機能を持ったスマホ、新しい服や靴、快適な住宅、あちこちでおいしいもの食べて、
となれば、お金はいくらあっても足りないので、それを得るためにストレスのたまる
苦役(勉強とか仕事とか)を延々と続けなければならない。

縄文人に美味い酒を飲ませたら、「こりゃ旨いね!」と言うだろう。でもそれを手に
入れるための代償を説明したら、きっと「それならいらないよ」と言いそう。でも
俺は、物欲を捨てて自由に生きる、とまではできそうにないねェ。。。

さてそんな生き方をした人が、ここ伊那にいました。「漂泊の俳人」と呼ばれた
井上井月という人です。その人の特別展示室がありました。


伊那部宿旧井澤家

2020年07月15日 | 関東甲信越


街道のつきあたりにあるのが、伊那部宿旧井澤家です。高遠藩内でも屈指の豪農として
知られ、代々造り酒屋を営んでいたのが井澤家でした。名高い井澤のお屋敷は、宿場内で
唯一の破風屋であり、 建坪も最大だったとのことです。

私はだいたい訪れる土地の名所を検索します。今回で言えば「伊那・観光」とか。
しかーし、お城や博物館、道の駅などは出ますが、ここは出なかった。マイナー過ぎる
というか、人気ないってか。ここを発見したのは、グーグルマップで見つけたのです。
地図なんですが、へたな観光ガイドより、こういうのが出てくるぞ。


入館料300円。入っても誰もいないので、「すみませーん!おじゃましまーす!」と
大声を出すと、ようやくおじーさんが奥から出てきました^^;


母屋の真ん中に立派な井戸がある。


上を見れば、柱もすごいぞ。


こんなところでお燗を一杯やりたいねェ。


ここは2階だったっけな。


なんか生活用品などが雑然と置かれていました。


使用人などがたくさんいたんでしょうねェ。


上座敷は造りが立派でしたが、なんかいろいろモノがありすぎてなあ^^;


さあて、少し何か食べないとなあ。古い食堂があったけれど、「ソースかつ丼」なんぞは
少し量が多すぎる気がする。古い喫茶店でもあれば、そっちの軽食のほうがいいか?


では駅のほうに戻るとしよう。たしか駅前に古~い喫茶店があったぞ。


コレコレ。喫茶タイム? やってるぞ^^


おばーちゃんのワンオペ。ありがちなんですが、お友達のおばーさんが来ていて
おしゃべりをしていました。客=σ(゚∀゚ )オレ が来てしまったので、「じゃ♪」と
帰ってしまいました。なんか申し訳ない気分^^;

「何にします?」と聞くので、「メニューはありますか?」と聞くと、「メニュー
なんてものはないのよ。聞いて♪」ときたもんだ。昼時なので、「何か食べる?
食べるもの、ごはんないのよ。サンドイッチなら」とおっしゃるので、ちょうどそんな
気分だったので、それを注文しました。


なかなかおいしいサンドイッチでした。むかし我がとうちゃんは、サンドイッチが
好きで、よく塩をふっていました。せっかく出してくれたので、私も塩をふって
食べてみました。ナイスなしょっぱさ(^益^)w


伊那へ

2020年07月12日 | 関東甲信越


諏訪から今回の最終目的地、伊那へ向かいます。ここ岡谷で電車を乗り換え。

この日の朝、朝食を食べたあとに体がだるくて少し横になる。頭も重い。むむ!
なんか調子悪いぞ。。。? マズイ。コロナに感染してたらマズイ! 飲み歩いている
もん。ウィルスばらまいちゃってる? そして今夜の酒も楽しみにしているんだもん。
発熱なんてしたら困るなー。

ふと気がつきました。ただの二日酔いだよ。。。 昼までにはすっかり治りました^^;


名古屋方面へ向かう中央本線。後ろに見えている高架線は、線路と並行した高速道路。
ここ岡谷で松本方面へ向かうルートと名古屋方面へ向かうルートに別れるのです。


緑と山の風景に、心は浮き浮き。


おお、懐かしの伊那駅前。住むなら城がある=文化と歴史のある城下町、あまり大き
過ぎず、繁華街もあるが歩いて回れるくらいの規模、熊本、松本、会津、函館なんぞが
お気に入りなんですが、もっとローカルな気仙沼や石巻、そしてここ伊那が最近は
注目。とってもいい飲み屋が多いってことなんだけど^^;


越後屋の隣にあるのは廃ビルか?駅のロータリーに面している一等地なのになあ。
こんなんはお値段どうなんでしょ。捨て値で売ってくれないかなー。


普段私は朝食をほとんど食べませんが、ホテルの朝食をしっかり食べたので、昼は少し
遅くてもいいだろうと思い、まずは伊那の町を歩くことにしました。


伊那は宿場町。古い建物などが残っている街道を歩いてみました。


伊那部宿(いなべじゅく)は、三州街道(伊那街道)の宿場町。飯田城下と塩尻宿の
中間にあり、ここから高遠城下を経て甲州街道へ、また権兵衛峠を越えて中仙道へ
通じる交通の要所だったと書かれております。今は「不便なとこ」だけどなあ~。

1864年には水戸浪士800余勢がここの宿で昼食をとり、旅籠の嫁娘たちの接待により
無事通過した、という記録が残っているそうです。娘さんたち~。いまさきち・が
立ち寄っていますよォ~~www


よおく目を凝らせば、水戸浪士800余勢が歩いている姿が見えないか。


むむ? 碑がありますぞ。


明治19年、「伊那郵便局発祥の地」だそうです。


諏訪の夜

2020年07月09日 | 関東甲信越


博物館もゆっくり見たし、ホテルに帰って温泉だ。そして夜の酒に備えるぞ。


上の画像からものの10分くらいで、ま~た雨が降り出す。行きと同じ愛の休憩所あたりだ。
「うわ、急に雨がひどくなったね。ちょっと休もうか♪」なんて出来ないひとり旅w

結局ザーザー降りになって、ふたたび足が濡れてホテルに帰る。さっそく温泉に入る。
風呂から外を見ると、太陽が顔を出して晴れているではないかwww


開店時間早々に「とんちん」へ。なつかしさに浸りながら、ひとりの常連さんと飲む。


時間制飲み放題なので、どんどん飲む♪ 長野にはほとんどコロナ感染者がいないせいか、
店の雰囲気に変わりはない。甲府のくさ笛では席をひとつおきにしたり、アクリル板で
ついたてをしたりしていたが、ここは普通にやっているぞ。あれ、ほとんど意味ない。
酒飲めばみんなワイワイやるからなあ~^^;


地酒をどんどん飲む。最初は「どれにしますか?」なんて聞かれるが、どうせ全部
飲むんですー。んで気に入ったほうを繰り返し飲むわけだ。


最初の1時間が1500円で、それから30分おきに加算される。いちおうは時間を気にして
あとどれくらいで・・・なんて考えるのだが、結局は酔っ払って時間はどうでもよく
なるのだ。


席はいっぱいになり、うしろに座ったサラリーマンふたりと話が始まる。ひとりは
14年間も香港勤務だったそうだ。大きな会社なんですなあ。酒は飲み放題だから
「まあ飲んで飲んで」はやらず、それぞれ注文した料理を「食って食って」となる。

そのうちにいつも笑顔の店長がやってきて、2軒目の話になり、4人で隣のスナックに
行くことに。店長、店はいーのかよwww(いつもそうだ)


おおお、人気店なのか、カウンターはいっぱいで、最初はテーブル席。


んで空いたらカウンターに移動。サラリーマンの苦労話なんかを聞いたような。。。
右から2番目のとんちん店長は、ずっとマスクをあんなふうにはずしていましたw


実は途中から記憶が飛んで、まったく覚えていません。翌日にカメラを見たら、自分が
写っていました。ママさんが撮ったのでしょう。んでサラリーマンの名刺もポケットに
ありました。もらってもなあ。。。


諏訪湖博物館・赤彦記念館

2020年07月07日 | 関東甲信越


諏訪湖博物館・赤彦記念館」に到着です。途中のどしゃ降りは大変だった。
こういうご時世のため、どこから来たのか、電話番号などを書かされる。「東京」と
書くのが少し嫌がられそうな気持ちになる。でも新潟のときのようなあからさまな
警戒感、不快感は感じられなかった。昨夜の甲府の飲み屋でも「東京から来ました」と
カミングアウトしたけれど、全然気にしていない雰囲気でした。たまたまか?
ニュースでは日本のあちこちで嫌がらせがあったという話が出たりする。俺もちらほら
と経験する。もちろん「一部でしょ」ということはわかっているのですが、それでも
印象や記憶が残りますよねェ。。。


オオワシがお出迎え。何年か前に諏訪湖に飛来したやつだそうです。でかいw


カエルさんは喉を動かして「ゲコゲコ・・・」と言っていました。
「ピョン吉」、「デメタン」、「べし」、みんなわかる?


遠く湖の向こうから見るとでっかい建物だと思っていましたが、中に入ってみると
意外とこんなもんか?という印象でした。


一階の特別展示室で、たっぷりと「諏訪湖での漁」というビデオを見ました。冬に
諏訪湖が氷結したときに、仕掛けておいた魚のワナです。なにやら石をガーン!と
やると魚が驚いて籠のなかに入ってしまい、それを引き上げるとか。


いろんなスケート靴が並んでいました。何せここは日本での「スケート発祥の地」だ
そうです。なんか仙台でもそんな展示があったような気がするが。。。むかしは
草履だとか下駄なんかにも歯をつけていたんですねェ。


なんかいいよね^^


金メダルの清水はこちらの出身なの? ちなみに金メダルを受け取るとき、彼は
真ん中で1段高い台に立っていても、それでも両サイドの外国人より背が低かった。


おおお、島崎京子さんの靴!ちなみにライバルの岡崎朋美さんは、かわいい顔して
メダリストになりました。それまで日本のトップだった島崎さんは、残念ながら入賞
どまり。でもね、きっちり自己ベストに近い数字をたたき出し、すごい貫禄でした。
なんつーか、朋美ちゃんがアイドル系で大人気だったのですが、島崎さんはスケ番系。
かっこよかったよー。


魚を獲るいろいろなワナ。さっき食べたウナギなんかも撮れるのかー?


村人たちが食べる分くらい獲ってた時期は、自給自足でほのぼのしていたのかな。


こういうの見てどう思いますか? 私の耳には、魚の子供たちが入っちゃって、外で
お母さんが「マス男!フナ介!」と叫んでいる声とか、逆に子供らが外にいて、
「とうちゃん!!!」と泣いている声なんかが想像されてしまうのです。。。(´;ω;`)


別室には島木赤彦の展示室がありました。ここは「赤彦記念館」でもあるのです。


島木赤彦は諏訪出身の歌人。正岡子規、伊藤左千夫などから連なる「アララギ派」です。

私は伊藤左千夫の小説は大好きなんですが、俳句や短歌はあまり関心がありません。

展示によると、彼は14歳で小学校の教員になっており、33歳で校長になっています。
ひと昔前の話ですが、いまの感覚からすると若いというか早熟というか。平均寿命が
違いますからねー。

私の子供の頃は、まだ「人生50年」なんて言葉が残っていて、50代はもうじじばばでした。
だって20代前半で親になれば、孫のいる世代ですしね。校長先生はおじーさんに見えて
いましたが、定年が55歳だったんだから、50代前半だったんですね。

「教師生活24年!」が決まり文句の町田先生は初老に見えますが、22歳で教師になった
のなら、あれはまだ40代半ばだったのでしょうw 「ど根性ガエル」わかりますか?

もうちょっと前に遡れば、坂本龍馬は27歳で神戸海軍塾塾頭になっています。その龍馬の
煙草を買いに走ったという逸話が残っている中江兆民は、28歳で東京外国語学校の
校長になっています。

ついでに西部開拓時代、『大草原の小さな家』のローラ・インガルスは15歳で学校の
先生になっています。

むかしの人は、密度の濃い人生を送っていたのかな。