松前城の裏には神社やらお寺があるらしいので行ってみる。帰りのバスは16時なので
だいぶ時間があるのです。
町並みはすっかり様変わりしていますが、神社仏閣は変わりないだろう。
暖かい日でしたが、まだ3月だけに誰も観光客は歩いていない様子です。行きの
バスにもそれらしき人はいなかったし。
まだ観光シーズンではないせいか、公衆トイレも閉鎖されたまま。緊急事態が勃発
したらどうするんだ!?
松前藩の公墓所がありました。そこに立っているケヤキがすごい。これは墓所開設の
際に植えられた菩提樹だそうで、樹齢370年以上だとか。
和人が蝦夷地にやってきたときから見守っているわけですなぁ。
偉い人たちの墓は家になってるよ!
お城から降りてきたら、ナイスな廃屋。
軽自動車も朽ちておりました。
とうの昔に廃線になった松前駅は、お墓みたいな石があるだけです。
いや、横に観光案内所だったところがあるじゃないか。残したというよりは放置?
繁華街はないようだが、スナックはありました。
でも朽ちかかってるなw
おー、また廃屋を発見。
さてさて、おおかた町を回ったぞ。まだバスが来るまで1時間くらいあるなあ。
ふたたびバスに乗り、松前に向かっています。ここは北海道の最南端、白神。
ここを回ればまもなく松前に到着です。
晴れているけれど、もやがかかっていて本土(こちらの人は内地と言ったりする)は
見えません。
松前の見物開始~。 むむむ。。。 明治時代に北海道を一周した英国人ランドーは、
北海道のどこも新しい建物が多かったが、松前だけは江戸の風情があって古い建物が
美しい、と言っていたのですが、それから100年以上も経っているのでこうなった
か。。。 この古い雰囲気を残そうとした新しい建物っつーのはどうよ(´・ω・`)・・・
ま、まずはメシでも食おう^^;
この店の一押しである「北京チャーハン」。この麻婆豆腐みたいなタレと一緒に
食べるとチャーハンの味が消えてしまうま。なので別々に食べるw
旧市街(城下町)は、みんなこんなふうにまっさらな新築のよう。
ゴミ置き場もこんな感じだ。努力しているのでしょう。。。
まずはお城にいってみよう。
海を見渡せて景色はいいぞ。ちなみにここは桜の名所。まだ1ヵ月はありそうです。
すでに花粉は内地から飛んでくるくせによーw
福山城(松前城)はちいさい。
不釣り合いに門はでっかくて立派だぞ。天守閣は焼失したので再建したものだそう
ですが、門のほうは残ったそうです。だからこっちのほうが風格あるんですねえ。
こちらは本丸表御殿玄関。これは小学校の玄関として使われたそうです。立派だねェ。
千代の富士記念館からバス停ひとつぶんを歩いて青函トンネル記念館へ向かいます。
福島は蝦夷地開拓初期の古い町ですが、いまはもうそういう風情はほとんど残って
いないようです。
記念館は長いトンネルの形をしていました。
まずは蝦夷地の歴史から展示は始まります。「徳川脱走軍兵士」なんて写真が残されて
おりますが、この頃はどっちが正義だかわかりません。「官軍」だとか「逆賊」だとか
見る方向によって反対になりますからね。ただ、初期の松前藩はどうやらアイヌを
だいぶ虐待していたようですが。。。
内部はこんな感じです。
トンネル開通前は、こんな感じで連絡船が往復していました。左上の船のように、
貨物列車をそのまま運んだりしていました。
1954年に洞爺丸が台風の影響で沈没し、1155人もの人が亡くなりました。その悲劇
のために、青函トンネルの開通が強く求められるようになったのです。
そりゃあものすごく大変な工事でした。その苦労話、「トンネルマン物語」がなかなか
面白かった。
調査の測量では、海上から200mごとに火薬を落としたそうですが、津軽海峡は潮の
流れが速いため、正確な位置に火薬を落とすのが大変だった。竜飛岬の灯台から1800m、
水深80mの地点は潮の流れが速くてなかなか調査ができなかった。潮のデータを調べる
と、1年間である日の30分間だけ調査ができるとわかり、その時間をめがけて船を出し、
「今だ!」と火薬を落としたら大成功。大喜びしたそうです。その火薬の衝撃で、
見たことがないくらいたくさんの鯛が浮かんできて(禁止されてる漁法ですな)、
夢中で拾ったとか。
トンネル内は通気が悪くて蒸し暑く、40度にもなったとか。長靴も汗でじゃぶじゃぶに
なり、ふんどし一丁で(当時はパンツじゃなかったのか)水をかぶりながら働いたそう
です。出水はあるし、壮絶な環境のなか、ずっと24時間体制で掘り進めたのです。
ご苦労様でした。ありがとうございます。
海底に2つ駅があります。降りる人は普通ありえないけれど、こんなふうに表示は
あるのです。
トンネルが開通したときにはお祝いでした。
船で海を越えて行き来していたのに、新幹線がビューンとあっという間に通過できる
ようになったと。
ゴリゴリ削っていく機械。いろんな岩盤があり、掘れないところは火薬で爆破して
進んでいきました。よくまあやれたものです。
外には水中調査の潜水艇が置いてありました。これに乗って深い海に潜るのも
大変だったでしょう。
木古内から松前に向かうバスで、福島(福島県じゃないよ)で途中下車して「横綱
千代の山・千代の富士記念館」にやってきました。このお二人は福島出身で、私は
千代の富士のファンだったのです。
どちらも小兵で、技とスピードで横綱まで登りつめた二人がこの町の出身です。
ボタンで選んで、いろんな映像を見ることができました。
千代の富士は体脂肪率が1ケタという筋肉質。子供のころから船に乗って漁の仕事を
手伝っていたので足腰が強く、スポーツ万能で足が速かった。それが相撲取り!
名大関だった先代貴ノ花をやっつけたときには「マジすか?!」と思いました。
貴ノ花も小兵でしたが、さらに小さい。
当時最強だった北の湖、この「憎らしいほどに強い」と言われた大横綱を優勝
決定戦で、上手投げで手をつかせたときは信じられない思いでした。
幕内最軽量の千代の富士が、最重量の高見山を相手にしない! 「小さい」と
いったって、身長は183cm、体重は筋肉質で120㎞超えの、普通なら「大男」
なんですが。
鋭い目、ものすごいスピードと腕力、切れ味鋭い技で、「ウルフ」と呼ばれて
いました。
優勝31回もすごいけれど、53連勝というのがものすごい。1場所15日ですから、
全勝優勝3回でも45連勝なんですぜ。
強くてカッコよくて、小さい体で大きな関取をバッタバッタとやっつけるもんだから
大人気の横綱でした。
土俵があって、過去の映像を見られました。
もう30年以上も前のことか~w
函館山が朝日に照らされています。朝6時。この日は「いさりび鉄道」に乗って
木古内まで行き、それからバスに乗り継いで松前に日帰り旅行。電車もバスも本数が
少ない上に連絡が悪く、早朝の出発となったわけです。
6:50の始発に乗って、まずは木古内に。
函館の湾をぐるりと回ると函館山を反対側から眺めます。
あの険しい山の向こうが北海道の南端、松前です。
木古内駅に到着。ここの「みそぎ祭り」のポスターが貼ってあります。真冬に冷たい
海に入ったりするわけですが、暑苦しいねェ。
バスが出るまで1時間以上あるので、まだ道の駅も開いていないので、海岸をぶらぶら。
みそぎ祭りに使う鳥居があります。
奥に見えているのは函館山。
あの山の向こうが松前。
天気予報で晴れ&暖かい日を選んでやってきました。遠足日和でのんびりするのが
気持ちいい。しかし本土から花粉が飛んで来るんです。東京から花粉を逃れて
北海道に来たというのに、函館には津軽海峡を越えて青森から飛んでくるんだよ!
バスに乗って南下を続けます。以前は松前まで電車が行ってたのですが、廃線になって
木古内止まりになりました。なのでこんなふうに駅の面影が残されていたりします。
函館の街では雪が消えましたが、山に来るとまだ残っていますね。