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「桑の実を採ってます、ジャムにしようと思って。」
「桑の実ですか、懐かしいですネ!! 一つ頂いても宜しいですか?」
一粒の黒く熟した桑の実を口に含むと、甘酸っぱい記憶と共に薫りが鼻腔に広がっていきました。
「中学生の時の学校帰りに、友達と一緒に食べて以来の味です。」
ご婦人のお話では、お祖父さんにあたる方が東京で絹糸の試験場に勤めておられて、退官後もこちらの家の前に7本ほどの桑の木を植え、「かいこ」を飼って繭を採っていたということです。
「青やピンク色の天然繭ができるのが、子供ごころにも美しく不思議でした。わたしも面白くて飼っていました。」
冬になると葉が落ちて枯れ木のようになるのを、市役所の職員が勘違いして抜いてしまい、替わりに別の木を持ってきたことも‥‥。
「ご一家にとって、とても大事な木ですネ。」
「はい。」
ご婦人は赤い未熟な実を残し、少女のように軽やかに家に入って行かれました。