続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

食卓。

2015-06-01 07:13:35 | 日常
 暑い日が続いている。
 梅雨は目前、猛暑の夏は避けがたくやってくる。

 その前に・・・ラッキョウや梅干しを漬ける。ラッキョウは塩漬けが好みである。漬物レシピはすでに20年余りも前の教本に従って作っている。
 淡々と、為すべきを、習慣に従って実行しているに過ぎない。かつてのような楽しみの感覚は薄くなり、義務的でさえある。なぜなら老人二人が食べきれる量を遥かにオーバーしていて、今朝も大根の甘酢漬けを大量に処分したばかり。

 ≪従来通り≫は、素通りしてもいいのかもしれない。友人たちとも「餃子も、昔は大量に手作りしたけど、今は冷凍一パックで十分。」と肯き合っている。「もちろん食べ放題なんて笑止!」


 大食だったわたし、肉饅に衣やパン粉を付け、油で揚げたこともある。こんな食生活から健康志向に移行した今も足りないことがストレスになって大目に用意する。処分に罪悪感を抱く世代のわたし、さらなるストレスを抱えている。


 倹しい生活、贅沢は望むべくもない。華のない質素な食卓・・・。

 それでも、お腹が空いて我慢ができないなどという辛酸はない。「十分だわ」とつぶやく。友人がヘルパーとして訪れた家のおばあさんに
「ちゃんと食べていますか?」と聞いたら
「今朝は飴一つを舐めました」と言われ驚愕したという。


 これからどんな世の中になるのか分からない。笑って食卓に着く日を重ねて行きたい。

『冬のスケッチ』125。

2015-06-01 06:45:38 | 宮沢賢治
四六   さびしき唇
         ※
     栽ゑられし緑の苣を見れば
     あらたに感ず海蒼色のいきどほり
     陽光かたじけなくも波立つを。


☆真(まこと)の済(すくい)の力は巨(大きい)。
 源(みなもと)を観(よく見る)と、戒(いましめ)が総(すべて)であり、拭(汚れを取る)が要(かなめ)の考えを把(手につかむ)ことが律(きまり)である。

『城』1979。

2015-06-01 06:22:32 | カフカ覚書
だって、とにかくあの助手たちを追いはらってくださったのは、わたしのためにしてくださったことではなかったでしょうか。ああ、たとえそのために苦しまなくてはならないようになるとしても、あなたがなさったり、お話になったりすることのなかに自分にとって喜びになるような種を見つけ出したいと、わたしがどんなにせつない気持ちで願っているか、それをわかっていただきたいわ」


☆あちら(死)へ行ったにもかかわらず、脳(知覚)を払いのけてくださったのは、わたし(平和)のためだったのでしょうか。どんなに苦しまなくてはならないとしても、あなたがなさったりお話することのなかに、わたしが幸福の本質を探し求めていることを分かってほしい。