続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『ガラスの鍵』

2015-06-20 06:51:08 | 美術ノート
 不毛の地である。高い山頂には人の気配はない。その山の頂に巨大な岩石が乗っている。

 有り得ない光景である。なぜなら岩石が落下したなら理解できるが、この描かれた空間は、草木も生えない数千メートル級の山の上であり、落ちてくるはずのないエリアなのである。
 その山の頂に比して更なる巨大さを示す岩の有り様は常軌を逸している。

(こういうこともあるかな)では済まされない異常な光景。(世界遺産どころではない)

 どう見ても人が登って来れない、飛行機の着地を拒否するような場所である。そこに巨石が横たわるのではなく縦に立ち、不安定でさえある恐怖を誘う光景。まさに奇跡である。

 秘境に立つ奇跡の岩石は何を意味しているのだろう。おそらく人に知られることなく存在しているに違いない。

 想像は現実を越える。しかし、現実は小説よりも奇なりともいう。
 この存在感は神を模しているのだろうか。

《主なる神はとこしえの岩だからである≫(イザヤ書)


 この光景に永遠はあるだろうか。地球における重力の法則に従えば、強固な結びつきと見えるものもやがては崩壊を免れない。自然の理を越えるものがあるだろうか。

 マグリットは提示する、この世に普遍はないと。現在、脅威をもって人を魅了するものも次の瞬間・次の世代には予測もつかない事態を引き起こす可能性を秘めている。

 この巨岩石の有り様を信じるか?
 
 マグリットの本当の意図は、この画面から引き起こされる時間を経由した場面である。
 「ガラスの鍵」、割れて壊れて開けられないガラスのイメージ。しかし対象は《真理》という目に見えない漠とした問題への鍵なのだと思う。
 この作品に隠された時間経由の《大いなる自然の理》の崇高さ。マグリットは語らずに筆を置く。

(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『冬のスケッチ』143。

2015-06-20 06:40:25 | 宮沢賢治
         ◎
  西ぞらのちゞれ羊より
  ひとの崇敬は照り返され
      (天の海と窓の日覆ひ)


☆正しい様(ありさま)は枢(物事の重要なところ)である。
 系(つながり)の章(文章)は遍(もれあく)転(ひっくりかえり)解(ばらばらになる)。
 想(考え)の果(結末)は、福(さいわい)にある。

『城』1997。

2015-06-20 06:31:37 | カフカ覚書
「あいつの不屈さは、まったく見あげたものだな」と、Kは、ひとりごちたが、もちろん、こうつけくわえざるをえなかった。「不屈もいいが、あれじゃ、柵のところで凍死してしまうだけだ」


☆「譲歩しないということは模範である」と、Kは言った。もっともつけくわえなければならないことがある。「ユダヤ人居住区に人がいっぱいだということを」