続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『即自的イメージ』

2015-06-24 06:40:02 | 美術ノート
 テーブルの上に額装されたブルーチーズの絵が置かれている。
 テーブルだとしたらチーズは巨大であり、チーズを普通サイズに考えるならば、テーブルはむしろ高台つきの皿と考えるのが妥当である。高台がついているということは、神さまなどへの捧げものの形式である。

 チーズはチーズでなく、単にイメージである。視覚においては共通だが、触覚・臭覚・味覚はなく、平面上の疑似物質に過ぎない。しかし、それにガラスカバーをかける滑稽。

 実物は腐食を免れないが、偽物は永遠である(と錯覚している)。見る者は確かにブルーチーズを想起する。ブルーチーズそのもののイメージ、それ以外の何物でもない。時間の眠りを経由した熟成した誰もが知るところのチーズであり、食欲をそそるものである。しかし、決して触れることも食べることも禁止された複写(コピー)のチーズである。


 これはブルーチーズだろうか?という疑惑がないわけでもない。しかし、ここまでガードされたこのブルーチーズに嘘があるはずがない。

 高台つきの皿の上にうやうやしく乗せられ、よく見えるが決して触れることを良しとしないガラスのカバーが掛けられたブルーチーズの複写(コピー)。

 このブルーチーズと鑑賞者を結びつけるものは《信じる》という精神的な意図によるほかない。
 イメージはあくまでイメージでしかないが、わたし達は脳の回路をもってイメージ=本物という確信を抱くように習慣づけられた傾向にある。


 マグリットの投じた一石。
 わたし達がそれと信じているものへの眼差しを揺らし、イメージを過大に奉る滑稽を忠告している。即自的・・・疑いをはさむ余地なく信じることへの警告かもしれない。


(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『冬のスケッチ』147。

2015-06-24 06:19:40 | 宮沢賢治
         ◎
  そらのふかみと木のしじま
  はちすゞめ
  群は見がたし

         ◎
  こはドロミット洞窟の
  つめたく硬き床にあらずや
  さるにてもいま
  幾個の環を嵌められしぞも
  巨人の白く光る集脚


☆記には群(同類のものが一か所に集まる)が現れる。
 道(神仏の教え)に屈(くじける)講(はなし)を証(ありのままにのべる)。
 鬼(死者)の禍(不幸・災難)を患(心配する)。
 観(よく見て)拠(よりどころ)の仁(博愛や同情の心)を吐く(言う)。
 荒(でたらめ)は析(分けて)却(しりぞける)。

『城』2001。

2015-06-24 06:09:26 | カフカ覚書
それが防御のしぐさなのか、挨拶なのか、ちっともはっきりしんかったが、助手は、そんな曖昧さぐらいでは近よることをやめようとはしなかった。


☆それが先祖の汚点に対する防御なのか、黙礼なのかははっきりしなかったが、それによって近づくことに躊躇はなかった。