続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『会話術』

2015-06-02 07:46:30 | 美術ノート
 石が文字の形で刻まれ、一つの意味をなす言葉として並置し、そしてそれを『会話術』と題している。

 会話は本来人間同士の間で交わされるものである。石という有機的な時間を持たない無機質な物を対峙させる意図は何か。

 はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。(ヨハネによる福音書)

 主なる神はとこしえに岩だからである。
 わたしのほかに神はあるか。わたしのほかに岩はない。(イザヤ書)

 石・・・岩、岩石。岩石を刻む。
 偶像(神)は刻んではならない。

 
 マグリットは常に大いなるものと対峙している。大いなるものとは神であり、自然である。その中で究極の答えを見出そうとする。神は人の造った律であるが、自然は人に答えない。
 しかし、マグリットは存在の中に答え(真理)は潜んでいるという前提のもとに神に対峙している。

 石が会話術の文字を表し林立している光景は、神や自然への冒涜である。この否定は大いなる肯定を導き出すであろうか。マグリットが仕掛けた挑戦であり、視覚における実験的な会話の術である。

(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『城』1980。

2015-06-02 06:34:15 | カフカ覚書
「なによりもまず言っておくがね、フリーダ、ぼくは、きみにたいしてこれっぽっちも隠しごとなんかしていないよ。お内儀は、ぼくをひどく憎んで、きみをぼくから奪いとろうとやっきになっている。そのために、なんとあさましい手段まで使っていることだろう。フリーダ、きみにしても、なんとお内儀に従順なのだろう。


☆「すべては平和から」と、Kは言い、僕は少しも隠していないよ。言葉はわたしをひどく急がせて励まそうとやっきになっている。そのために軽蔑的な手段まで使っている。フリーダ(平和)にしてもいかにお内儀(言葉)に譲歩していることだろう。