『稲妻』
花瓶の花がグレーに塗りつぶされている。そのシルエットはその背後にある作品(フレームの中の)をも隠している。
花瓶に挿した大量の花が稲妻によって一瞬見えなくなっているのだろうか。その背後の隠された部分は花瓶の花とどんな関係にあるのだろうか。
見るべき、見せるべき対象の消失である。
在るはずのものが見えないという現象、『稲妻』という題名であれば、その発光(放電)現象によって一時的に目がくらみ、対象の判別に明瞭さを欠くということはあるかもしれない。
存在しているが不在の様相である、しかも背後をも隠している。
見えなくなったものと隠されたものが近似の関係にあるかもしれないし、単に何もないものを隠しているに過ぎないかもしれない。
見えない、見えなくなるということはその存在を想像してみることを迫られる。
『稲妻』という現象は、一時的な光の多量によって物の存在の一部を隠してしまう。
明らかなる現存が、(見えないこと)によって不在を疑われ、隠したものはさらに背後を隠すという現象を生む。
(見えること)と(見えないこと)の差異の問いかけ、隠蔽は不在ではなく現存しているが見えにくくしているということである。
(写真は『マグリット』展/図録・新国立美術館より)
ジョバンニはだんだんこゝろもちが明るくなって来ました。汽車が小さな小屋の前を通ってその前にしょんぼりひとりの子供が立ってこっちを見てゐるときなどは思はずほうと叫びました。
☆冥(死者の世界)の記は、鬼(死者)の赦(罪や過ちを許し)消す章(文章)也。
痛みを繕う詞(ことば)の教(神仏のおしえ)の律が現れる。
詞(言葉)は教(神仏のおしえ)である。
けれども、その上さらに、あの子がソルティーニを愛していなかったとまで言うのはいささか例外の乱用気味で、常識では理解不可能なことですわ。
☆けれども、その上、彼女がソルティーニを愛していなかったというのなら、死の荒地が例外で、さらに理解されていないということです