「読書クラブに入りませんか」というお誘い。
「ひと月に一冊だから」といい「これなんか子供向けの本なのよ」と。
でも昨年の表を見ると難しそうな本もあって、とても読めそうにない。
まさか、(わたしもわたしなりに忙しいの)なんて口が裂けても言えない。それにわたしは怠けものであり、不勉強この上なく人生をやり過ごしてきたのに今さら・・・。
手芸クラブのようなサークルならいざ知らず、視力も加速がついて衰えている昨今、「読書クラブ」へのお誘いは肯けない。
もっと元気があったなら、もっと頭が良かったなら・・・わたしの方から入りたいようなクラブだけど、
《こんなわたしを誘ってくれてありがとう》 ダメなわたしでごめんなさい。
『Tu m’』〔お前(油絵)はわたしを退屈させる〕
自転車の車輪、びんの栓抜き、帽子掛けという三つのオブジェの影が描かれ、左端には「基準停止装置」が描かれている。右側の曲線も同じ曲線にもとづいたものである。
カンヴァスの破れ目をとじるように見えるところはだまし絵ふうに描かれたもので、その破れ目をとじるように本物の三本の安全ピンがカンヴァスにとめられてる。破れ目の端から、本物のびんの線条用ブラシが突き出しているいる。四角い色見本の行列の最先端にある黄色のそれの中央には本物のボルトがさしこまれ、それによって色紙を画面にこていさせているかのような印象をあたえる。指さす手はペンキ絵の職人に描かせたという。(新潮美術文庫・中原佑介/解説より)
現物を見たら、さぞ愉快で気持ちよく笑ってしまうのではないかと思う。それくらいファンキーな原始的リズムがある。
車輪は回り、びんの栓抜きは意味なく登場し、帽子掛けは空に浮いている。
色紙の整列には最前の黄色にだけ固定のボルトがさしこまれているなど、どう考えてもすぐに自由にバラバラに散逸してしまう直前の空気。
カンヴァスの破れは古典的な絵画技法、それを本物の安全ピンでとめるなんて愉快この上ない。
「基準停止装置」なんてありえないような装置を登場させて鑑賞者を困惑させ、指さす手を他人に描かせて無意味な方向性を示唆させている。
こんなハチャメチャを真面目に制作するなんて、楽しくて可笑しくて全然退屈しないし、うんざりどころか・・・嬉しくなってしまう。
この作品を前にしたら、笑ったまま踊り出しちゃうかもしれない。
デュシャンさん、あなたって本当に素敵な人です!(可笑しくて…でもそのうち泣けてくるから不思議)
(写真は『デュシャン』新潮美術文庫より)
「さうじゃないわよ。あのね、天の川の岸にね、おっかさんお話なすったわ、・・・」
「それから彗星がギーギーフーギーギーフーて云って来たねえ。」
「いやだわたぁちゃんさうじゃないわよ。それはべつの方だわ。」
☆展(ひろがる)千(たくさん)の願いは和(争いを納め、仲良くすること)である。
推しはかる章(文章)を運(めぐらせている)。
記は法(神仏の教え)である。
ぼくは、さらにクラムと職務上の関係だけでなく、個人的な関係もある(もっとも、これまでのところこの関係を十分利用してはいませんがね)。これでもとるに足りにことでしょうかね。
☆クラム(氏族)との個人的な関係も無益ではありますが。これでは十分ではないということでしょうか。