『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』
(鳥かごに入れられた152個の角砂糖型大理石、温度計、イカの甲)
11.4×22×16㎝の鳥かご。たしかに小鳥は中に入ることはできる、けれど、自由に飛ぶことは難しい。不自由の強制であって、愛玩というよりは、単に捕獲を意味するような狭小鳥かごである。
飛ぶという本能の圧制。
一方大理石に至っては、飛ぶことも逃げることもあり得ないものであり、それを収納ではなく鳥かごに収めるのは滑稽である。
人工的に切り刻んだ立方体の大理石は、置かれた状況を不本意に思うこともない無機物質であり、主張する意思もなくただ為されるがままである。
室内に巨岩石を置いたマグリットの作品に似ている。こちらは絵画という偽空間であれば、床が抜け落ちる心配も無用である。
しかし、現物の鳥かごは移動が可能であり、通常抱く鳥かごとは違う重量感に少なからず衝撃があるに違いない。
無理に押し込まれたようなイカの甲、意味のない温度計に必然性は薄く、視覚と体感の相違を含めた落差をもって感覚の不条理を提示せしめている。
『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』は不条理劇である。
『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』と自身に問いかけても、そんなことは分からず、《有るかもしれないが、無いかもしれない》のである。
(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)
「蝎の火って何だい。」ジョバンニがききました。
「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるってあたし何べんもお父さんから聴いたわ。」
「蝎って、虫だらう。」
「えゝ、蝎は虫よ。だけどいゝ虫だわ。」
☆喝(叱る)過(あやまち)や禍(災難)に勝つ詞(ことば)の化(教え導くこと)の念(思い)がある。
苛(きびしく)怖ろしい懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)、且つ誅(罪を責め咎める)喝(しかること)には中(態度がかたよらない)忠(まごころ)がある。
事実、あなたのおっしゃるとおりで、いまでは、わたしたちとフリーダのあいだには大きな相違があります。それを、一度ははっきりとさせておくのは、悪いことではありませんわ。
☆あなたの言ったことは正しく、今では、わたしたちとフリーダの間では大きな差異があります。先祖の傷痕を主張するのは悪いことではありません。