続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『風俗画の寓話』

2016-08-05 07:11:58 | 美術ノート

 『風俗画の寓話』

 アッサンブラージュ、ブルーに塗られたボール紙を割き、白い綿上の面にガーゼを被せた物を出している。ヨードチンキで色付けされた部分、そしてメッキの星がいくつも散在させてある。その背後は漆黒の闇である。

 ブルーに塗られたボール紙の亀裂は、無理にこじ開けて見せた劇中という感じであり、ヨードチンキの色付けは血塗られた苦渋を想起させる。
 上に散りばめたメッキの星は、ある種の偽装、粉飾を思わせる。
 深い闇の中からの告発のようでもあり、真実めく強い息遣いさえ感じ取れる不穏がある。

 これをもって『風俗画の寓話』と題している。
 風俗画の多くは普通の人の暮らしの記録である。
 平穏に見える情景の中の真実、憂愁の横顔(男に見える)、肉感的な肌触りの部分、乳房(女)、どこまでも深い闇(不安あるいは死)、抱く星の数々は希望であり抑圧とも思える。

 そんなふうに想像させる部分をブルーの清純(平和)が包み、その亀裂の中に日常の暗喩を垣間見せている。

 『風俗画の寓話』とは、描かれた日常の中の真偽を問うものとしての発信ではないか。答えはないが、時間という流れの中に浮遊した存在であると。


(写真は『マルセルデュシャン』㈱美術出版社より)


『城』2397。

2016-08-05 06:22:32 | カフカ覚書

「そうかもしれません」と、Kは言った。「しかし、ぼくにとっては、いちばん大事な相違は、つぎのことです。つまり、フリーダは許婚者だが、アマーリアは、城のししゃであるバルナバスの妹で、ことによると、彼女の運命がバルナバスの務めと不即不離の関係にあるのかもしれない。


☆「そうかもしれません」と、Kは言った。わたしにとって一番の差異は次の通りです。フリーダ(平和)はわたしの婚約者だあ、アマーリアは終末(死)の使いであるバルナバス(死の入口付近をめぐるもの)の妹であり、ひょっとしたら彼女の運命はバルナバスの務めと関係があるのかもしれない。