続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『ローズ・セラヴィよ、なぜくしゃみをしない?』③

2016-08-09 07:14:28 | 美術ノート

(角砂糖を模した)立方体の大理石が数多混入している鳥籠・・・このような趣旨の解説を読み、作品を眺めるから、角砂糖を模した大理石だと思い、鳥籠でないものを鳥籠だと確信してしまうのではないか。

 確かにそう見えるし、彼(デュシャン)自身がそう発言したのかもしれない。

 けれど、その内実はどう見ても違和感がある。鳥籠というより何かの仕掛けのある捕獲器のような気がする。大理石のほうは砂糖を模したというより、白く美しく重量のある物は何かを隠している(隠ぺいしている)という印象である。(もちろん現実には何も入っていないわけだけど)

 『ローズ・セラヴィよ、なぜくしゃみをしない?』

 『ローズ・セラヴィよ、なぜ疑わない?』

 この奇妙な取り合わせ(大理石・温度計・イカの甲羅‥)は噴飯物である。
 『ローズ・セラヴィよ、なぜ笑わない?』

 奇妙なものを奇妙だと見る正確な直観力・視野をデュシャンに試されているような気がしてならない。


(写真は『デュシャン』新潮美術文庫より)


デュシャン『停止原基の綱目』

2016-08-09 06:39:51 | 美術ノート

 『停止原基の綱目』

 停止原基? 原基とは個体の発生段階で形態や機能が器官として未分化な状態の細胞群のこと。まだ分化していない状態の停止、まだ現れ出ていないものの打ち止め。それは《無》に等しい領域である。その領域の綱目(大要と細部)となると、さらに理解は困難になる。難しいというより支離滅裂な印象である。

 きっちりマス目(方眼)として図られた線条に描かれた若干具象を匂わせる絵図は(時間)を暗示しているようにも見える。
 そして、その上下の暗澹…理解を超えた(あるかもしれない)(在ると予想される)根源的な原点、始まりであり終わりであるような核を潜ませた空想の域。

 基点から分岐していく線条、振られた数字の意味、法則の不明はすべてが偶然であるしかないような連帯の欠如である。

 題名の意味から推して考えれば、「何かが誕生しようとして生まれる前に消された大まか、かつ微細な図解」ということになる。
 しかし、大真面目に失笑に値する図解であって、意味の霧消の表明であることに気づく。

 彼(デュシャン)は、真剣なる眼差しで《無意味の意味》を追求したのだと思う。
 意味のないものは抹殺され、有意義なものを探求している世界を裏側から覗き見ている虚無感が、むしろ痛快な快感としてくすぐる要素を孕ませている沈黙の作品である。


(写真は『マルセルデュシャン』㈱美術出版社より)


『銀河鉄道の夜』396。

2016-08-09 06:19:33 | 宮沢賢治

 その時向ふ岸ちかくの少し下流の方で見えない天の川の水がぎらっと光って柱のやうに高くはねあがりどぉと烈しい音がしました。


☆弐(ふたつ)の講(はなし)には、眼(かなめ)の化(教え導くこと)を留めている。
 転(ひっくりかえる)遷(移り変わり)を推しはかる。
 講(はなし)の註(意味を解き明かす)考えは、裂(バラバラに離す)と隠れている。


『城』2401。

2016-08-09 06:08:13 | カフカ覚書

どうも妙な気がしてならないのですが、ぼくは、あんたを完全に信頼しているし、いつまdも信頼しつづけたいと思いますが、そのあんたが、どうしてアマーリアというまわり道をしてたえずフリーダに攻撃をくわえ、ぼくに疑心を起こさせようなどとするのでしょう。


☆例外的ではありますが、わたしは完全にあなたを熟知しているし、いつまでも懇意にしたいと思うけれど、どうしてアマーリアというまわり道をして、たえずフリーダ(平和)に攻撃を加え、疑念を起こさせるのでしょう。