向日葵が咲くと、いよいよ夏本番だと思う。朝からセミの鳴き声がうるさいほどに聞こえてくる。
「夏、乗り越えられるかなぁ」
不安が過る、〈夏来れば、秋遠からず〉の楽観でいくしかない。
未だエアコンを使用していない我が家、息子に叱られるかな・・。
『渦巻のある円盤』
デュシャンは『自転車の車輪』に見られるように、輪、円、円環という終結のない軸に非常な関心を抱いていたように思う。
たとえば『なりたての未亡人』にしても、そこにはまだ死んだばかりの霊が存在していると暗示させるような作品である。
この一連の円形を扱った作品を見ていると、静止を拒否される動きがある。ぐるぐる廻リ、とらえどころのない不安と逆にうごめく活性を感じてしまう。
つまり誕生から死滅の直線的時間、不可逆への反感が潜んでいるように思われる。
見ているという現時点が不思議に動く。反復・回帰の現象を含む円形の秘密。
円の重なり・・・それぞれの人生の生きるべき時間の浮遊、必ずしも直線態な時間軸では測れない精神の空間性が響き合っている。
朝が来て夜が来る、季節は春夏秋冬を廻る、この円環的な時間軸、それぞれの円形。
生まれたからには死に直行している、という直線的時間の否定。
大いなる自然にはこのように循環している事実がある。この自然の理との接点に考えを突き詰めていくと・・・デュシャンの空間論理に答えを導く作品のメモである。
(写真は『マルセルデュシャン』㈱美術出版社より)
どんどんどんどん汽車は走って行きました。室中のひとたちは半分うしろの方へ倒れるやうになりながら腰掛にしっかりしがみついてゐました。
☆鬼(死者)の赦(罪や過ちを許す)を想(おもいめぐらす)講(はなし)である。
悉(ことごとく)自由(おもいのままに)で反(元に戻る)文であり、法(神仏の教え)である等(平等)が要の果(結末)の詞(ことば)がある。
わたしたちは、たしかにあの日の午後は浮かれすぎて眼がくらんでいましたけれども、あのときよく見えないながらもアマーリアが恋をしたらしいとおもったという事実は、わたしたちがまだいくらかの冷静さをもっていた証拠ですわ。
☆わたしたちは、たしかにあの小舟の内部をめくらめっぽう打ちましたけれど、当時は、すべてが曖昧でした。アマーリアの困惑は認めますが、十分思案したように見えます。