続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

空を見ている。

2016-08-30 07:46:42 | 日常

 雨・晴れ・曇り・豪雨・・・。
 激しく変化する空模様、(今朝は雨だから、ラジオ体操はないわ)と思っていると(おやっ、雨は止んでいる)

 昨日の朝もこんな感じ、ついさっき、ほんの数分前まで降っていた雨、でも…止んでいる。
《では!》と出かけたら、いつものメンバー、ちゃあんと、揃っていました。
 と言っても7人、若干淋しくはありましたけど敢行。少雨決行、(やっぱ、体操するとね、元気になれるから・・・)

 今朝もさっきまで土砂降りだったけど、どうなるのかな?
 ご老体を動かしてくださる《ラジオ体操》に感謝、深謝の毎日です。


デュシャン『近接する金属の中に水車のある独身者の器具』

2016-08-30 06:13:33 | 美術ノート

 『近接する金属の中に水車のある独身者の器具』

 近接する金属、一見具体性があるようで抽象的な説明である。
 金属の中に水車、これも説明のつかない奇妙な並置である。
 水車のある独身者の器具、必然性がなく、意味は浮上せず、霧散するばかり。
 この関係性のない言葉の羅列をつなぎ、意味不明の捉え難さを抽象化している。言葉による言葉の崩壊/破壊である。一つ一つは確かに意味がある、しかし、つなげることで意味を霧消させている。意味の否定ではなく全体を無に帰す構成、意味を捕らえようとすると、意味の方が逃げていくという現象を敢えて創意している。

 その題名の作品は、題名に酷似した空気感を醸し出す正解を提示している。
 図①のロールは普通に巻いているように見えるが、《メビウスの輪》状態にも感じられる。つまり、表を通りつつ裏面を辿って元の点にもどるという線条である。(つまり、回転不可)
 図②の水車の軸は果たして支えられているのだろうか。直角に交わる棒の下部にあるように思える、その場合、当然水車は回らないし、回るべき水の流れも不在である。仮に回ったとしてそのエネルギーの方向性も不明であり、これらが独身者の器具であるという説明にも疑問が残る。
 一見整然とした器具に見えるが、器具としての用途も不明であり、器具ですらない不完全な代物である。
 《それらしく見えるが、それでさえない》という不思議に無用な設計を構築している。

 存在しているが、非存在を仲介するものである。


(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)


『銀河鉄道の夜』417。

2016-08-30 05:01:31 | 宮沢賢治

「さうよ、だけどいゝ虫だわ、お父さん斯う云ったのよ、むかしバルドラの野原に一ぴきの蝎がゐて小さな虫やなんか殺してたべて生きてゐたんですって。


☆註(意味を書き記すこと)は普く詞(ことば)で運(めぐらせている)。
 現れるのは、割いた章(文章)の註(意味を書き記すこと)は、察(あきらかに)照(あまねく光が当たる=平等)である。


『城』2422。

2016-08-30 04:48:59 | カフカ覚書

しかし、縉紳館でのあの晩の出来ごとで、あなたは、いまのおたがいの立場をはっきりおわかりになったことでしょう。フリーダは、鞭を手にしていましたが、わたしのほうは、下男どもの群れにまじっていたのです。


☆大群のハロー(死の入口)と同じように、現在お互いの立場を認識しているのかもしれない。フリーダ(平和)は国家の苦境を共にしていましたが、わたしのほうは、群衆にひざまずいていたのです。