続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

オリンピック。

2016-08-16 07:31:38 | 日常

 毎朝、見ている。(卓球女子、準決勝/惜敗)本当に残念だったね、愛ちゃん、石川さん、伊藤さん、みんな頑張っている。見ているこちらの方が涙・・・。(三位/銅メダル、おめでとう。泣き虫愛ちゃん泣いて、わたしも涙)

「腰が壊れても…」って言った選手、

(無理をしてはいけないよ)が合言葉の高齢者から見ると眩しすぎて、ハラハラドキドキが止まらない。

 祭典、そう祭典なんだもの、美しく燃えればそれで最高!

 
 わたしのブログ、一人でも見てくれればそれでOKと思っている。
 でも、オリンピックの選手の方々は日本国中の声援を背負っている。それが力にもプレッシャーにもなることを考えると、つくづく彼らの背負うものの大きさを感じてしまう。

 頑張れ、頑張れニッポン!!


マグリット『ピレネーの城』

2016-08-16 06:49:19 | 美術ノート

 『ピレネーの城』

 海の上に浮かぶ巨岩石、その上には石化した城が聳えている。背景は白い雲の散在する青空であるが、水平線辺りは白い雲で覆われているのに、水平線がくっきり見えるということはあるだろうか。

 もちろん有り得ない不条理な光景である。重力圏内に於いて重い岩石が浮かぶということは絶対に無い。飛ぶというもでもなく静止の状態で浮いている。
 石化した古城、幻の城は地上の人の眼からは見えない。城に比して岩石の大きさを予測すると相当な重量・広大さであり、海上に一つの村落(国・世界)があると考えてもいい大きさである。

 それほどの物が頭上にあるという圧迫感は耐え難く、静かな光景などではなく、恐怖と混乱を潜ませた空気である。
 その光景を静観する眼差し・・・現実の世界を精神の眼差しで透視するとこのような景色に変換される。

 石化した城≒権力の形骸化、現実だろうか、かつての夢の跡だろうか…時空の限定は不明である。
 わたしたちの頭上には、かつての夢の名残が今も一つの脅威として浮遊しているのかもしれない。

 幻想は、心理的潜在の具象化である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』403。

2016-08-16 06:36:19 | 宮沢賢治

 右手の低い丘の上に小さな水晶ででもこさへたやうな二つのお宮がならんで立ってゐました。


☆幽(あの世)の衆(人たち)の諦(真理)を究(つきつめる)章(文章)である。
 照(あまねく光が当たる=平等)を推しはかる章(文章)は、字を究(つきつめる)律がある。


『城』2408。

2016-08-16 06:23:29 | カフカ覚書

ぼくは、たしかに自分の意思でこの村へ来て、自分の意思でここに腰をすえることになってしまったんですが、それ以後に起ったすべてのことと、とりわけ自分の将来にたいする見込みーまあ、雲をつかむようなものかもしれないが、とにかく見込みがないわけじゃないー


☆わたしは自分の意思でこちら(来世)へきて、自分の意思でここにいる。それ以来、出来ごと全てー死は将来の見込み、何といってもその存在は疑わしいものである。