久しぶりに神奈川県立近代美術館/葉山へ出かけた。
積極的に美術館へ行かれない無精者である、ワークショップのようなものに参加し、行かなければならない状況を作って、やっと出かける。
そうしてここ十年余りを細々美術館へ出かけている。わたしの中のどこかに《美術》に対する未練があると思われる(←他人事?)
何気なく見た美術館のワークショップの広告、何気なく参加した日。
李美那先生のお弁当は…よく覚えている。お母さんは浅草当たりのご出身と聞いたけど、玄米ご飯に天ぷらの大盛リ、ざっくりした栄養本意の中身。
受講仲間の小学生からは海岸に出た折、《水切り》を教えてもらった。
「こういう薄べったい石を捜してね、それで、こういう角度で狙うんだよ」と。
何気なく参加したワークショップの楽しさ、癖になり、ずいぶんお世話になった。
日常とは異なる空間に自分を連れて行く楽しさを満喫させていただいた。
ちなみに昨日のワークショップは、自分で作ったペンで書くカリグラフィ。わたしといえば、自由に描いていた小学生にも劣る出来。(恥ずかしいよ、でもいつもの事)
川人先生、土居先生、お世話になり、ありがとうございました。
クエイ兄弟の展覧会、すごく良かった!!
カフカの『変身』、風の吹く、あの空気感、ベットの下のザムザ・・・。
もっとゆっくり見たかったなぁ。
『汽車の中の悲しめる青年』
題名(言葉)と本体(作品)の結びつきが不明である。イメージとしては、《汽車は走る=空間を移動するもの→正》の中で、悲しみという負の感情をもつ青年(未来という時間を所有する人)である。
彩色が全体暗色なのは《悲しみ》の暗示であり、茶系は裸婦に見るような肌の色、単に肉体という意味だと思う。
ゴッホに『悲しい女』というしゃがみこんで背を丸め顔を伏す裸婦像があり、明らかにそのものの情景である。
しかし、この絵にはそんな風情はなく、鬱屈した暗さが重く沈み込んでいく妙な不安定さが鑑賞者の視覚を揺する。
青年は青年たちではない、一人の青年の分解である。あたかも現れては消えていくような微妙な時間を感じる。
汽車という自分では制御不能な空間移動/時間のなかで、立ちどころの不安定な…のめるような崩壊の危機を孕んでいるような危うい風情を感情移入することも可能である。
しかし、何物も寄せ付けないような慄然とした静けさもある。
これはデュシャン自身の自画像なのだと思う。悲しみは自己申告であって、他者からは見えない。
(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)
「蝎いゝ虫ぢゃないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあってそれで螫されると死ぬって先生が云ったよ。」
☆忠(まごころ)を、注(書き記す)と、目(ねらい)を吐く。
仏(仏教)を勧めることを兼ねている。
備(あらかじめ用意しておく)釈(意味を解きあかす)の詞(ことば)は、遷(移り変わる)章(文章)に運(めぐらせている)。
三年まえ、わたしたちは、れっきとした家の娘でしたが、孤児のフリーダは、橋屋で使われている女中にすぎませんでした。フリーダとすれちがっても、見むきもしませんでした。わたしたちは、たしかに高慢だったかもしれませんが、そんなふうに育てられたのです。
☆衝動の年から私たちは隠れた存在でしたが、賢者であるフリーダ(平和)は、仲介(現世と来世の)の暈(ハロー/死の入口)にいて、彼女とすれ違っても見向きもしませんでした。わたしたちは、たしかに高慢だったかもしれませんが、そんな風に生じたのです。