『海の男』
『海の男』というタイトルは原文ではどうなんだろう、東京美術の本では『海から来た男』になっている。
海はフランス語では女性名詞、母なる海である。母なる海から生まれ出た男、その男の現況心理であれば、マグリット自身の告白ではないか。『海の男』というタイトルであれば、女の男/夫を想起するけれど、『海から来た男』であれば、女から生じた男/マグリットに思い至る。
どちらにしても、母なる海に深い関連を持ち、その場に離れがたく執着せざるを得ない男の心情だと理解する。
足元不如意、いずれ離れていくかもしれない床面の亀裂は潜む不穏を暗示している。
窓の把手を握る手、腕には力がこもっており、これはこの場を脱出する意思かもしれない。
顔は蔓状のものが描かれた板に置換されている、つまりは特定の拒否であり、知られてはならない顔の隠蔽である。
背後の海は、海と空のけじめも定かでない暗雲立ち込める曇天であり深い悲しみに満ちている。
室内の切れ切れの断片は日常(現世)そのものであり、決して逃れられず、どこへでも付いて回る俗世の時空かもしれない。
あらかじめ与えられた状況の中で、失ってしまった過去(亡母)に捉われている自身の赤裸々な告白。
力強く持つ把手、このスィッチが鍵である。《どこへ行こうといているのか》誰にも見えに秘密を握りしめている。
(写真は『マグリット』西村書店より)
もうよほど、そらも冷たくなつてきたのです。東の遠くの海の方では、空の仕掛けを外したやうな、ちひさなカタツといふ音が聞え、いつかまつしろな鏡に変つてしまつたお日さまの面を、なにかちひさなものがどんどんよこ切つて行くやうです。
☆霊(死者の魂)を祷(祈る)。
掩(かくして)解(部分部分に分けた)法(神仏の教え)がある。
空(根拠のない)詞(ことば)の化(形、性質を変えて別のものになる)の我意がある。
陰(かくれた)教(神仏のおしえ)は普く秘であり、綿(細く長く続く)済(救い)の講(はなし)である。
ベルトゥフは、片足がすこし不具で、これに合ったなっぐつをつくれるものは父のほかにはいないと信じこんでいたのです。
☆ベルトゥフは不安定ではありましたが、適正な主張を強くするべきだと信じていたのです。