《王様の美術館》
美術館はどこ?男のシルエットの中にあるあの建屋だろうか、それともこの絵全体から回答が得られるのだろうか。男のシルエットは王様というより山高帽から推して考えると一般人の紳士であり、王様を象徴するものは無い。
青い空・霞む山々、建屋(城?)より手前は次第に黒く変化している。ずっと向こうは明るく、こちらに来るにしたがって闇の暗さなどという光景は自然にはない。(深夜に人工の灯りで遠方が明るいということはある)換言すれば自然の条理に反している。
シルエット描かれた目・鼻・口、明らかに直視している眼差しは、一般人(民衆)のものである。
同じように光が当たるべき山河の条理を覆す王様(支配者)の伝統への静かなる告訴。
石積みの境界の向こうは漆黒の闇であり、沈黙の内実は見えないが、境界に置かれた鈴は、言葉(指令・伝説・風評etc)を秘めている。
《王様の美術館》とは歴史の中に蓄積された記録されるべき物象への眼差しである。あるがまま…しかし、とマグリットは反問する。
(写真は『マグリット』東京美術より)
「ひゆう、ひゆう、さあしつかりやるんだよ。なまけちやいけないよ。ひゆう、ひゆう。さあしつかりやつてお呉れ。今日はここらは水仙月の四日だよ。さあしつかりさ。ひゆう。」
☆語(ことば)で教(神仏のおしえ)を化(形、性質を変えて別のものになる)で、推しはかる。
遷(移り変わる)月を視る実(まこと)。
アマーリアは、給仕や世話や看病などすべての仕事を引受けました。そして、とこどき中休みはありましたが、それを今日までつづけているのです。
☆阿m-リアは保護や傷などの修復に仕え、引受けました。そして実さい問題はありましたが、それを今日まで続けているのです。