続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『汽車の中の悲しめる青年』

2017-05-31 06:53:25 | 美術ノート

 『汽車の中の悲しめる青年』

(青年)というからには、この絵のものは人に違いない。人の連写は、全体下降ぎみゆえ、(悲しめる)というイメージに相当するかもしれない。
(汽車の中)は、言葉だけであり、汽車を連想させるものは無い。
 作品(絵)はタイトルなしには成立せず、またタイトルがあっても具体的には結びつかない。
(そうなのか)と、鑑賞者は作者の意を理解しようと譲歩する。

 人(青年)と思われる被写体には肉体が欠如し、木質か紙質を思わせる茶系の断片が接続しているように見える。即ち、解体を余儀なくされるような不明確なものの連なりであり、存在の確定に疑惑を抱かざるをえない不穏さがある。

 悲しめる青年の存在が希薄なのである。タイトルで「いる」と言っているのだから、「いるのだろう」という反応を示すしかない。第一(汽車の中)という設定自体、それを明らかにする要素は皆無であり、『汽車の中の悲しめる青年』は《幻》である。
 タイトル『汽車の中の悲しめる青年』と『作品』の間に「幻の『汽車の中の悲しめる青年』」を鑑賞者は二つの条件を基に描かざるを得ない。

『言葉と物』の間に介在する個人の感想、きわめて個人的な胸に去来する(悲しめる青年)を立たせるのである。
 つまり、見えないものを見せる作為、万人の異なる(汽車の中の悲しめる青年)を引き出す謀である作品であり、鑑賞者はこの作品の前に立ち、自身の(悲しめる青年像)に遭遇するという仕掛けである。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


『城』2653。

2017-05-31 06:10:58 | カフカ覚書

ひとつには、父は、わたしたちがいつも成功のまぎわになって父の足を引っ張ってばかりいた、たとえば、最初の時は資金の援助を打ち切ったし、今度はベッドにしばりつけたままにしておいた、と信じこんでいたからですが父がこんな考えをいだくようになったのは病気中のことです)ひとつには、もう他人の考えを完全に受け入れる能力をなくしてしまっていたのです。


☆第一に、この啓発を常に妨げられていたので、病気になったのです。支援の金の停止、引き留めるにもすでに縁が切れていました。完全に異郷の思想を受け入れる能力はありませんでした。