続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

不運は面白い。

2017-05-23 07:24:20 | 日常

 きれいさっぱり片付けたのは、もう十年前・・・なのか?
 孫に「おばあちゃんちの匂いがする」といわれたときハッとした。

 積もる埃の匂いであるに違いない。
 整理・整頓・清掃・・・手始めに二階のかつての仕事部屋の不用品を分類しているうちに、昔のノートが出て来た。見るほどに読むほどに涙が出るほど懐かしい思い出。(片付けはそこでストップする)

 そのノートの隅に、作家佐藤愛子さんの言葉が…。
《不運は面白いが、幸運は退屈である》

 この言葉を噛みしめた時期のノートを捨てようとして捨てきれず、元の書棚に戻した。わたしは相当に面白い人生を過ごしてきたかもしれない。


マグリット《ゴルコンダ》

2017-05-23 06:47:15 | 美術ノート

 《ゴルコンダ》

 山高帽・コートの着衣…有産階級の市民という印象の男が地上に対して垂直に、しかし途方もなく空中に散逸している。
 一見何かの規則性がありそうに見えるが、建屋に投影された影を追っていくと、矛盾が発覚する箇所がある。
 同じ背格好であるはずの男と屋根に落ちた影との距離間に不審があり、男は同じ背格好ではなく、特定不応なほど大小入り乱れていることが予想される。とてつもなく大きな巨人の混在は空間という認識が困難な領域にあるため、錯視を免れない。

 空間には空間なりの空気遠近法があるはずだけれど、その空間を図りえない錯綜がこの絵の中には用意されている。

 空間という目に定かでない空(三次元)は、絵(二次元)のなかでは、平面(一次元)とも、無限とも見え、また空間の錯そうという精神的な解釈をも許容するものである。
《ゴルコンダ》という街の栄枯盛衰、恒久であるべき空への精神的介入で空間意識への解釈を試みたのではないかと思う。


(写真は『マグリット』東京美術より)


『水仙月の四日』44。

2017-05-23 06:26:14 | 宮沢賢治

 西の方の野原から連れて来られた三人の雪童子も、みんな顔いろに血の気もなく、きちつと唇を嚙んで、お互挨拶さへも交はさずに、もうつづけざませはしく革むちを鳴らし行つたり来たりしました。


☆済(すくい)は法(神仏の教え)也。
 聯(並べてつなげること)に頼る。
 散(自由気まま)に、尽(すべて)を接(つなぐ)同(平等)の旨(考え)の信仰である。(が、願いである)
 結(バラバラなものをむすぶ)記は、真(まこと)の恒(常に変わらず)護(まもる)愛を察(明らかにする)考えである。
 隔(へだたった)冥(死者の世界)の講(はなし)である。


『城』2645。

2017-05-23 05:54:38 | カフカ覚書

しかし、やがて最悪の時期がすぎて、父が用心ぶかく左右かrささえてもらいなあらもんんとかベッドから出られるようになると、アマーリアは、さっさと引っこんで知って、父をわたしたちにゆだねたのでした。


☆それからひどい状態も過ぎ去り、父(宿命)は用心深く真実に向かい再び怪しげなものに留意しました。
 アマーリアはすぐに元に戻り、わたしたちにそれをゆずったのです。