五月の空の下、荒崎へ。
好天に恵まれ暑いほどの陽気のなか荒崎に集合。夕陽の丘~ピクニックの丘~潮風の丘~シーサイドコース散策。
植物と昆虫がメインのイベント。
ニワゼキショウ・オオバイボタ・黄色いミヤコグサ(オレンジ色は外来種)ヘラオオバコ・スズメの帷子・カモジ草・ヤブカラシ・スイカズラ・ソレマツムシ草・アシタカマツムシ草・ヤブニッケイ・トウオオバコ・ワダン・イソギクetc・・・。
カジイチゴの実やクコの実を懐かしく摘まみました。
モンキアゲハ・生まれたてのキリギリス・アワフキムシ・ゾウムシ・ハバチ(蜂)・カラムシ・アジサイハムシ・ジャコウアゲハ・イソジョウカイモドキ・アカボシゴマダラ・ウバタマムシetc・・・。
蝶捕り名人がいらして、次々捕獲。ジャコウアゲハなど生れて始めて至近で確認できたのは感動。
ウマノスズクサ(馬の鈴草)に卵を産み付けるとのこと。
モンキアゲハやオオスジアゲハなどはカラスザンショウの木に寄って来ることなど、知らない情報満載の昨日の散策。
名人は空を見て「あ、〇〇が飛んでいます」と即答。昆虫研究会のメンバーの方が、
「あれは正確に把握して言っているんではないんです。周囲の樹木や植物、それに季節的なことを含めて予測して断定しています」と付言。
岩礁を伝って朝の集合場所(荒崎バス停)の帰還。
すごく楽しいイベントでした。
内舩先生、山本先生、自然環境共生課の方、昆虫研究会、植物会の大前先生、ありがとうございました。
*大前先生に「長いですね」と言われ恐縮…博物館のイベントには長いことお世話になっております。退け時でしょうか・・・。
《葡萄摘みの月》
葡萄摘みの月、夏から秋にかけての季節を言っているのだろうか、ひどく暗い印象の絵であり、収穫期の喜悦がない。
暗い室内には何もなく、カーテンでさえも遮蔽の暗示があるのみである。
同じような男の整列、増殖と言った方がいいかもしれない。数は力であり、脅威とも思えるが、彼らは一体何を見てるのだろう。
室内という限定された空間は、自身の胸裏(内なるもの)なのだろうか。数多の眼差しは攻撃・反乱・暴力などの圧力を感じさせるが、少なくとも親和的な友好は希薄である。
空は曇天であり、光差す景ではない。
葡萄…同じような粒が連なっている果実であり、摘むという収穫は葡萄にとっての最期でもある。
同じ面相の男たちの限りなく増殖している景は、個人の特質の抹殺であり人権の侵害である。
《葡萄摘みの月》は、押し並べて形骸化されてはならない、という強い抗議ではないか。
《人間は葡萄に非ず》という逆説である。
(写真は『マグリット』東京美術より)
雪婆んごの、ぼやぼやつめたい白髪は、雪と風とのなかで風になりました。
☆説(はなし)の場に迫り、発(明らかにするように)設(こしらえ)、普く課(割り当てている)。
あの子は、痛みをやわらげる薬草の知識があるのです。それに、ほとんど眠らなくても済みますし、決して驚いたり、怖がったりせず、いらいらもしません。両親のためにどんな仕事でもしてくれました。
☆彼女は痛みを鎮める薬草(幸福)を知っています。
眠らなくてもいいし、恐れることも焦りもありません。すべての仕事を昔のようにしました。