一生懸命生きてきたつもりでも、後から思い知る悔恨が浮上し自分を責め苛む。
「これだけの不完全な出来損ないの人間なの」と開き直るしか術がない。
誰に対しても不足は見えるほどに粗雑・無関心な接し方だったに違いない。そういうことすべてに気づかないまま今に至っている。
不足を指摘されて驚き、やがて悔恨の情に沈み込んでしまう。
(そう、そうだったの…)ごめんね。
自分ばかりは気づかない日常における欠落、育ったようにしか生きられない。まともでないわたしはまともでないことに気づかない。
「元気出して歩け、元気出して行こう!」わたしの中のわたしがわたしを慰めている。
《ホームシック》
大きな翼をもった男は橋の向こうを見ている、オレンジにけむる町は霞んで定かではない。
男の背後には百獣の王であるライオンが静かに平和に…佇んでいる。
一見穏やかなムードが漂うメルヘンチックな光景である。しかし、肉食のライオンと人とが脅威を感じずに至近距離に位置していることへの違和感が残る。
《望郷》、自分の本来の居場所を思う切なる気持ち。
今この瞬間の静けさは幻かもしれない。背後のライオンは爪を立てているようにも見える、百獣の王であるライオンは、抑圧・凶暴の支配者の具現ではないか。男の背につけられた翼は、逃げるための用意であり希望である。
静かに見える光景は、実は緊迫した状況であり、危機一髪を孕んでいる。(見えているものは見えていないものを隠している)
(写真は『マグリット』東京美術より)
聞えるものは雪婆んごのあちこち行つたりきたりした叫ぶ声、お互いの革鞭の音、それからいまは雪の中をかけあるく九疋の雪狼どもの息の音ばかり、そのなかから雪童子はふと、風にけされて泣いてゐるさつきの子供の声をききました。
☆問(といつめ)接(つないでいく)場の講(はなし)である。
教(神仏のおしえ)の照(平等)を語(ことば)で書く。
頻(しきりに)隠す説(話)を注(書き記す)。
句(言葉)で必(そうなるに決まっている)説(はなし)である。
労(力を尽くして働く)則(道理)を隠している説(話)は同(平等)の旨(考え)である。
普く究(つきつめる)詞(言葉)は、教(神仏のおしえ)の照(あまねく光が当たる=平等)である。
そういう仕事を見つけるのは、むずかしいことではありませんでした。どんな仕事だってベルトゥフの畑のまえにすわっているくらいの効用はあったからです。しかしわたしが見つけだしたのは、わたし自身にさえ若干の希望をあたえてくれるような仕事だったのです。
☆この種のことを見出すのは困難でした。ベルトゥフ(招集)の幕の前に座っているのも目的に適っていましたが、わたしが見出したのは、先祖の希望だったのです。