『ローズセラヴィよ、何故くしゃみをしない?』
普通に考えると何の注意も喚起しないようなガラクタ(無用の長物)である。ただこれを意思を持って提示した所に鑑賞者への含み笑いを感じる。「これが分かるか」という挑戦である。
鳥かごと称せられる小さすぎるカゴ、一時的に小鳥を保管・保護するものだろうか。11.4×22×16㎝の空間内では飛ぶこともできず、この鳥かごに入れられた小鳥は脱出を希求するに違いない。しかし、小鳥の存在はなく、角砂糖型の大理石が152個が無造作に入れられている。角砂糖に模した大理石は、角砂糖のイメージを裏切る重さがあり、見かけの重量感とは大きな差異があるに違いない。イメージと実質の相違・落差は少なからず衝撃である。
全体に落差がある、小さい鳥かごへの失意、不必要な集積である角砂糖型の(小さくカットされた)大理石、暴力的な混入であるイカの甲の無意味、自ら熱を発しない無機物の温度を図るかの温度計…鑑賞者は言葉を失い傍観するのみである。
この容器が〈鳥かご〉であることを辛うじて思いだす時の、小鳥の不在(本来のものを追い出して、仮に居場所としている)。
物への敬意や有効性が皆無である。凝視するほどに、反発心が高まってくる。肯定は探したくとも無く、「違うでしょう!」という抗議・否定がわだかまってくる。
この無意味な混在、即ち、わたしの中のローズ・セラヴィ。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
しばらくたちどまつて考へてゐましたがいきなり烈しく鞭をふつてそつちへ走つたのです。
☆講(はなし)は烈(バラバラに離れている)。
弁(区別する)双(ふたつ)がある。
そこで、わたしは、自分に言いきかせましたー一般に世論が見かけだけにせよ使者の侮辱事件しか問題にしないんだったら、その使者をなだめることさえできれば、これまた見かけだけかもしれませんが、すべてのことをもとどおりにすることができるかもしれない、とね。
☆わたしは、自分に言いきかせましたー一般に意見が見せかけだけにせよ、小舟への侮辱だけなら、これもまた見せかけに過ぎないかもしれませんが、すべてのことは小舟と和解できるなら償えるかもしれません。