昨夕、燐家の人から「今朝、母が亡くなりました」との報告を受けた。
「わたし、ずっと働き通しだったから、年金が楽しみだわ」と。そうおっしゃっていたのに、その年になるころ脳溢血で倒れずっと寝たきりの二十年。享年83才とのこと。
明るく優しい方、最近見舞ったときには、すでに会話が不自由になり、わたしの手を握りしめて肯くだけだったけど・・・。
「老衰です」と娘さん。
所属する班では、この一年で三人の方が亡くなっている。
呆然としながら話を伺い、ため息をついた。
一人づつ…一人づつ、昨日まで元気だと思っていた方が亡くなっていく現実。
淋しい、本当に背中が凍りつくような寂しさを感じて息をのみ込む。
合掌・・・Yさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
《精神の現前》
精神が目の前に現れることなど考えにくいが、この三者の林立が(精神の現前)であるという。
鳥類・人類・魚類、地表面上に生息するものの並列は、見る限りにおいて同等の存在感を示している。
飛翔・走行・遊泳…空・陸・海に生きるものの対峙は静謐な空間を浮上させているが、条理ではない。
曇天の空が被う朦朧とした地平、空と海と大地の明確な区分も曖昧である。
物理的な不条理を超えた精神の平等である。争うことも競うこともないが、食物連鎖のサイクルから見れば明らかに人類が優位であるに違いない。しかし…鳥に襲われることもあるし、魚も毒を以て制すこともある。
《生きること》が最大のテーマである生まれ出でたものの魂の主眼。
《生きねばならない》という義務と権利は、地上の生物の悲願である。
地球を共有する三者の生息は同等の意義を有しているが、三者それぞれ眼差しの方向は、魚は上・鳥は横・人は前であり、異なる風景を望んでいる。
相容れない生存が、同じ時空を共有して生きている。けれど並置されたものの烈しい攻防は隠れて見えない。その隠蔽こそが《精神の現前》であり、秘かなる本能の所以である。
(写真は『マグリット』東京美術より)
ぱちつ、雪童子の革むちが鳴りました。狼どもは一ぺんにはねあがりました。雪わらすは顔いろも青ざめ、唇も結ばれ、帽子も飛んでしまいました。
☆説(はなし)が導く詞(言葉)で覚る冥(死後の世界)。
露(あらわれること)が溢(あふれている)説(はなし)である。
願うのは照(あまねく光が当たる=平等)の真(まこと)である。
訣(人との別れ)である亡(死ぬこと)への思いは、秘(人に隠して見せない)。
こうして、長いあいだ出かけられなくなってしまいましたが、父は、二度とあそこへはもどりませんでした。何週間もベッドに寝たきりでいなくてはならなかったからです。
☆こうして、先祖は長いあいだ現場不在になりました。さらに、来世では長いあいだ懇願し続けなければならなかったのです。