70才、《ねばならないこと》からの解放は一見自由で楽しいように思える。
差し迫ってすることがないと、些末なことを膨らめて感受し思い悩むという負の状況に陥りがちになる。
事の是非への判断が鈍り、いわゆる偏屈な老女と化し、日常生活を灰色に塗りこめてしまうという落し穴、負のスパイラルは不健康である。
自分を知り、自分が出来ることを厭わない。物理的に曲がった背は治せないが、精神の素直さは見直しつつ正していきたい。
ああもしたい、こうもしたい!という希望は霞のように儚く手に届かないけれど、失笑を買うようなレベルでも希望のしっぽくらいは掴めるかもしれない。
高齢者というエリアを新しく生き始めたわたし、自身を開拓し、腐った果実にならないように鮮度を保ちたい。
《不安な仲間たち》
山頂の荒地(岩場)に生えた植物の葉の上部が鳥に変容しているのは、あり得ない、条理を外した光景である。
曇天だが、下方からは奇妙に明るい光が差している。
鳥の眼は大きく見開きこちらを見ている。
これらの条件を踏まえて《不安な仲間たち》と名付けているが、たしかに不安である。飛翔すべき鳥は葉からの変容であり、つまりは拘束状態であり、本来の機能は駆使されない。
飛べない鳥と成長を妨げられた植物とが一体化している奇妙。鳥は葉を助けず、葉もまた鳥を助けないという相殺の関係である。相容れないものの合体は負を予感させる。
鳥の眼差しがこちらを向いているのは沈黙の抗議かもしれない。異種の融合は必ずしも有効な手段とはならず滅亡へと堕ちていくことの警告である。
(写真は『マグリット』東京美術より)
もうどこが丘だか雪けむりだか空だかさへもわからなかつたのです。
丘はキュウと読んで、究。
雪はセツと読んで、説。
空はクウと読んで、空。
究める説(はなし)は、空(根拠がない)。
オルガの計画
「さて、父のためにまだできるような仕事、少なくとも家族の罪を払いおとすのに役だつであろうと父に信じさせておけるような仕事をなにか見つけだしてやることが必要になってきました。
☆さて、父(宿命)のために何か従事できることを見出すこと、何かあるもの、少なくとも一族の罪をいろいろ検討することが必要になってきました。