続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)84

2020-07-03 16:13:34 | 飯島晴子

   十薬の芯高くわが荒野なり

 十薬の芯が高くなるころは、花も終わり枯れかけている。そんな寂しい景色の荒野がわたくしの界である。

 十薬はトウ・ヤクと読んで、套、訳。
 芯はシンと読んで、審。
 高くはコウと読んで、交。
 わが(我)はガと読んで、我。
 荒野はコウ・ヤと読んで、考、也。
☆套(おおった)訳に審(正しいかどうかを明らかにすること)が、交っている。我(わたくし)の考え也。

 十薬はジユウ・ヤクと読んで、自由、訳。
 芯はシンと読んで、新。
 高くはコウと読んで、講。
 わが(我)はガと読んで、描。
 荒野はコウ・ヤと読んで、恒、也。
☆自由な訳(ある言語を他の言語で言い換える)の新しい講(話)を描く。恒(常)也。


『飯島晴子』(私的解釈)83

2020-07-03 15:55:21 | 飯島晴子

   寂しいは寂しいですと春霰

 寂しいは寂しいです、より深い寂寥感。雪よりも唐突で存在感がある、でも、すぐに融けてしまう春霰のようなもの。

 寂しいはセキと読んで、夕。
 寂しいはセキと読んで、責。
 春霰はシュン・サンと読んで、悛、惨。
☆夕べの責(科)、悛(過ちを正す)惨めがある。

 寂しいはセキと読んで、積。
 寂しいはセキと読んで、石。
 春霰はシュン・サンと読んで、瞬、散。
☆積んだ石、瞬(またたく間に)散(バラバラになってしまった)。

 


『飯島晴子』(私的解釈)82

2020-07-03 15:32:03 | 飯島晴子

   はんざきの傷くれなゐにひらく夜

 大山椒魚に傷があり、それが真っ赤に口を開いて見えたので仰天した。夜か否かは不明だけれど、赤は漆黒の中でこそ花のように華麗かつ鮮明に開く。

 半裂はハン・レツと読んで、伴、列。
 傷はシュウと読んで、ショー。
 くれなゐにひらく(紅・開)はコウ・カイと読んで、公開。
 夜はヤと読んで、也。
☆伴(連れだって)列(並ぶ)ショー、公開也。

 半裂はハン・レツと読んで、叛、劣。
 傷はショウと読んで、償。
 くれなゐにひらく(紅・開)ハコウ・カイと読んで、後悔。
 夜はヤと読んで、也。
☆叛(逆らう)劣(性格の悪さ)の償い、後悔也
 


『飯島晴子』(私的解釈)81

2020-07-03 07:33:36 | 飯島晴子

   今度こそ筒鳥を聞きとめし貌

 烏、ウグイスの鳴き声はよく分かる。でも筒鳥のポンポンという低い鳴き声は聞き取りにくい。季節や生息域に当てをつけて探訪しても難しい。けれど、今度こそ間違いなく《あれは筒鳥!》だと確認した顔である。

 今度はコン・トと読んで、混、吐。
 筒鳥はトウ・チョウと読んで、套、帖。
 聞きはモンと読んで、悶。
 とめし(止)はシと読んで、詞。
 貌はボウと読んで、謀。
☆混ぜて吐く套(覆い隠した)帖(ノート)、悶(思い悩んだ)詞(言葉)の謀(はかりごと)がある。

 今度はキン・トと読んで、襟、妬。
 筒鳥はトウ・チョウと読んで、套、超。
 聞きは(ブンと読んで、文。
 とめし(止)はシと読んで、詩。
 貌はボウと読んで、貌。
☆襟(心の中)の妬み、超(とびぬけて優れている)文や詩、貌(容貌)までも。


『飯島晴子』(私的解釈)80

2020-07-03 07:19:50 | 飯島晴子

   初夢のなかをどんなに走ったやら

 どんなに走ったやら・・・疲労困憊の態である。どこまでも、どこまで行っても行き着かない。追われて逃げたのか、目的に向かって突進していたのか、分からないけれど、自由に躍動できる身体への強い執着、希望、願望である。

 初夢はショムと読んで、庶務。
 なか(中)はチュウと読んで、注。
 走ったはソウと読んで、総。
☆庶務(様々な事務)で注(書き記す)、総てである。

 初夢はショ・ムと読んで、諸、夢。
 なか(中)は、チュウと読んで、中。
 走ったはソウと読んで、層。
☆諸(もろもろ)夢中で、層(重なっている)。


R.M『一夜の博物館』

2020-07-03 06:42:30 | 美術ノート

   『一夜の博物館』

 One-night Museum、一夜の博物館、夢《夢想》の博物館である。
 箱は四つに仕切られ、各展示物が置かれている。
 腐りかけた果物(時間)、切断された手(死)、石(無機物、永遠)そして切り紙細工のような穴の開いた紙で遮蔽された空間(未来あるいは不穏)。

 物は言葉を発しないが、多くを語る。
 鉱物(石)が無機物なら、手(動物)は有機物であり、腐りかけの果物(植物)が現実の時間なら、遮蔽された空間は非現実の空間である。
 世界の歴史を垣間見る展示に集約された意図とは何だろう。

《生と死》、すべては《光》によって明らかになる現象に過ぎない。
 存在における時間と空間。上段二つは有機物、つまり死滅を辿るものであり、下段二つは不滅を暗示している。
『一夜の博物館』は、関わりつつ存在する生と死の循環であり、覗き穴のある遮蔽された空間には、覗いた人だけが知り得る(未知、不可視)の答えがあるに違いない。


 写真は『マグリット』展・図録より


『やまなし』23.

2020-07-03 06:32:51 | 宮沢賢治

 蟹の子供らは、あんまり月が明るく水がきれいなので睡らないで外に出て、しばらくだまつて泡をはいて天井の方を見ていました。


☆皆(すべて)の詞(ことば)は教(神仏のおしえ)を合わせている。
 冥(死の世界)を推しはかり遂(やりとげる)。
 我意を推しはかり、法(神仏の教え)を展(広く見渡すと)、照(あまねく光が当たる=平等)が現れる。


『城』3452。

2020-07-03 06:20:52 | カフカ覚書

でないと、そっぽをむいておしまいになります。フリーダだって結構うまくやれたのだからお客さまの要求なんてたいしたことはあるまい、とお考えになるかもしれませんが、それは、間違っています。わたしは、よくそのことを思案しましたし、フリーダともしばしば話ををし、しばら寝起きもしていました。


☆思うべきこと、要求はそんなに大きくありません。それで、フリーダは満足できたのです。しかしながら、それは正しくありません。よくそのことを考えましたし、フリーダもしばしばやってきました、それどころか、しばらくは一緒に眠って(死んで)いたのです。