続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)泉辺の。

2020-07-19 02:44:07 | 飯島晴子

   泉辺の家消えさうな子を産んで

 泉のほとりにある家が消えそさう、夕闇が迫って家の確認が難しくなったのである。そして見えなくなったときに、消えそうな声を聞いた。正しく今生まれたばかりの産声、消えそうな微かな泣き声を確かに聞いたという感動である。
 消える、と現れる(誕生)のネガ・ポジが不思議なリズムで呼応している。

 泉辺の家はセン・ヘンカと読んで、遷、変化。
 消えさうなはショウと読んで、章。
 子を産んではシ・サンと読んで、詞、算。
☆遷(移りかわる)変化がある章は、詞(言葉)で算(見当をつける)。

 泉辺はセン・ヘンと読んで、煽、偏。
 家消えさうなはカ・ショウと読んで、過賞。
 子を産んではシ・サンと読んで、師、讃。
☆煽(おだてた)偏(中正でない)過賞(褒めすぎ)の師の讃(褒め言葉)。


『飯島晴子』(私的解釈)春の蔵。

2020-07-19 02:23:02 | 飯島晴子

   春の蔵でからすのはんこ押してゐる

 春の蔵、冬の間のための貯蔵庫は春になり、空っぽになった。カラスがやって来ても、落ちた穀粒を啄むくらい。カラスの足跡がハンコを押したように点々と残っていることである。

 春の蔵はシュン・ゾウと読んで、峻、憎。
 からす(烏)はウと読んで、迂。
 はんこ(判子)はハン・シと読んで、判、刺。
 押してゐる(押居)はオウ・イと読んで。応、畏。
☆峻(けわしい)憎しみは、迂(遠回しに)判かる。
 刺すような応えに畏(怯えている)。


『飯島晴子』(私的解釈)むつつりと。

2020-07-19 02:02:27 | 飯島晴子

   むつつりと春田の畦に倒けにけり

 春になると現れる田んぼは、水が入った湿地である。この湿地には水を運ぶための堰や用水路の手入れ、運んできた水をためる畦塗りなどの作業が必至である。田植えなどの晴れがましい作業の前の下準備は、相当な労力を強いられ重労働であるに違いない。しかも孤独な作業は口を利く相手もなく進められるから、どうしても(むつつり)という表情である。疲労困憊、不覚にも石にでもつまずいた一瞬の景である。

 春田はシュン・デンと読んで、悛、伝。
 畦はケイと読んで、閨。
 倒けにけりはトウと読んで、訪う。
☆悛(過ちを正す)と伝え、閨(婦人の部屋)を訪う。

 春田はシュン・デンと読んで、瞬、電。
 畦はケイと読んで、携。
 倒けにけりはトウと読んで、等。
☆瞬(まばたきする間)の電(稲妻)、携(手を取る)等(仲間)がいる。


『飯島晴子』(私的解釈)⑲+

2020-07-19 01:42:01 | 飯島晴子

 

   襖しめて空蝉を吹きくらすかな

 世間を隔てて生きている。ホラ(有りもしないこと)など思って暮らす日常である。(空蝉はこの世に生きている人、現世)

 襖はオウと読んで、翁。
 しめて(閉)はヘイと読んで、炳。
 空蝉はク・センと読んで、句、宣。
 吹きくらすかなはスイ・ボと読んで、遂、募。
☆翁(老人)は炳(あきらかに)句を宣(広く知らしめること)を遂(やりとげ)、募(広く求めている)。

 襖しめて(襖閉)はオウ・ヘイと読んで、横柄。
 空蝉はク・ゼンと読んで、句、全。
 吹きくらすかな(吹暮)ハスイ・ボと読んで、衰、模。
☆横柄な句、全て衰(勢いがなく)模(型どおり)である。