続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)⑯+

2020-07-16 06:43:34 | 飯島晴子

   天網は冬の菫の匂かな

 天網、天にかかる網。冬の菫の匂い、スミレのほとんどは匂いがないが、晩秋から冬の寒い時期に咲くニオイスミレだけは香りがあり香水にもなる。
 天網は見えないけれど、人の心にある。冬の菫の匂いも見えないけれど確かに香る。無限の広さを持つ天と、足下の点に等しい小さな花の香りとの対比。どちらも掴んで証明することは難しい。幻想の天網と儚くも小さな花の放つ香り、この扇形の限りない広がりはひと時の夢空間である。

 天網はテン・モウと読んで、伝、猛。
 冬の菫はトウ・キンと読んで、闘、金。
 匂かなはニオウと読んで、仁王。
☆伝(言い伝え)では、猛(たけだけしく)闘(たたかう)金(尊い)仁王(金剛力士像)である。

 天網はテン・モウと読んで、展、望。
 冬の菫はトウ・キンと読んで、套、訓。
 匂かなはニオイと読んで、二追。
☆展(ひらいて)望むと、套(被われた)訓(字句を解釈する)に、二追(追うべき二つ)がある。


R.M『狂気について瞑想する人物』

2020-07-16 05:09:06 | 美術ノート

   『狂気について瞑想する人物』

 人物は棺を想起させるような白い板あるいは箱状のものを見つめている。首を前に突き出しタバコを手にしている。背景はフラットの濃濁緑色である、これは夢想空間(非現実)である。

 男が手にしているタバコ、これは吸うためというより祈りの儀式であり、唯一の現今、無の時間経由である。
 狂気だろうか、そうとしか言いようのない亡母への思いの隠蔽である。何がどこでどうして二度と会えない世界へ行ってしまったのか。死が隔てる世界への謎解きは、やはり狂気と呼ぶしかないのかもしれない。
 瞑想する人物と自分を客観視しているが、隠しきれない母恋いを隠すには狂気しかない。非現実を夢想する、この狂気でしか母は存在しない。母に結びつく時間は狂気と呼ぶしかないという狂気とは裏腹の冷静な判断。

 狂気について瞑想する男は断じて自分ではなく、任意の人物である。この距離、自分である人物を観察する自分を描いている。
 生命、存在、生と死への論理を超えた思い、執着。狂気と呼ばずしてなんと呼ぼう、デュシャンの思いは隠蔽された狂気によって胸の内に留まっている。

 写真は『マグリット』展・図録より


『やまなし』32.

2020-07-16 04:56:21 | 宮沢賢治

『どうだ、やつぱりやまなしだよ、よく熟してゐる、いゝ匂ひだらう。』
『おいしさうだね、お父さん』
『待て待て、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んで来る、それからひとりでにおいしいお酒ができるから、さあ、もう帰つて寝よう、おいで』


☆熟(十分)二追うである。普く二つのことを示す。
 字の化(教え導くこと)で弐(二つ)を解(さとる)。
 陳(言葉を並べること)に頼る趣(考え)の記は新しい。


『城』3460。

2020-07-16 04:47:00 | カフカ覚書

クラムは、こういった根も葉もない噓に長くは耐えていることができないのです。クラムは、酒場や客室で自分について話されていることをかんかんになって追究しはじめます。こうしたことは、クラムにとってはきわめて重要なことなのです。もし根も葉もないことだったとわかると、ただちに訂正するでしょう。


☆クラムはこの種の間違った動きに耐えることができないのです。クラムは酒場(死の入口付近)や暗示(仄めかし)をテーマとする物語の背後をそのまま信じています。こうしたことはクラムにとって大変重要なことですが、間違っているとなれば、すぐに訂正するでしょう。