続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)⑤+

2020-07-09 07:03:27 | 飯島晴子

   橡の花きつと最後の夕陽さす

 橡(とち・くぬぎ)の花は並べてドングリになる。ドングリの背比べを思うまでもなく、最後はみんな同じ。平等である。故に大いなる落日の陽にきっと!阿弥陀如来や菩薩(三尊)の御来迎があるはずである。

 橡の花はショウ・カと読んで、償、過。
 最後はサイ・コウと読んで、済、幸。
 夕陽はユウ・ヒと読んで、宥、否。
 さす(射)はシャと読んで、謝。
☆償う過(あやまち)は、済(救い)の幸(めぐみ)で宥(大目に見てもらう)。否、謝らねばならない。

 橡の花はショウ・カと読んで、粧、華。
 最後はサイ・コウと読んで、祭、紅。
 夕陽はユウ・ヒと読んで、木綿、被。
 さす(射)はセキと読んで、昔。
☆粧(身づくろい)は華やかである。
 祭りの紅、木綿の被(ゆかた)、昔のことである。


R.M『嵐の装い』②

2020-07-09 06:44:29 | 美術ノート

 人型に切り抜かれた紙状のもの、なぜ人だと認識してしまうのか。床面に垂直に立脚できる生物は人間以外にいないからである。ギリギリ人だと認識できるものの複数の影はかなり低い位置からの投影であり、至近であるようにも見える。不確定なエリア(冥府)には生活感は皆無であり、肉体もそぎ落とされている。

 人為的に刻まれた空洞、これは過去の事由であり、解読不明の履歴ではないか。意味を霧消することですべての魂が平等になるという(デュシャンの)計らいかもしれない。

 どんなに意味や肉体を削ぎ落されても、残る魂が現世からの死者を出迎える。最大の敬意と装いを以て嵐の困難を乗り越え、こちら(冥府)へ向かう死者を待っている。そういう景に思えてならない。


 写真は『マグリット』展・図録より


『やまなし』27.

2020-07-09 06:29:01 | 宮沢賢治

『それは兄さんの方だらう』
『さうぢやないよ、僕の方大きいんだよ』弟の蟹は泣きさうになりました。
 そのとき、ドブン。
 黒い円い大きなものが、天井から落ちてずうつとしづんで又上へのぼつて行きました。キラキラッと黄金のぶちがひかりました。


☆経(常に変わらない)法(神仏の教え)の諦(真理)がある。
 諦(真理)の解(さとり)を究めることを告げる。
 掩(隠した)他意を展(広げると)、章が絡(つながる)。
 幽(死者の世界)の照(あまねく光が当たる)の講(話)は、往(人が死ぬ/その後)の魂である。


『城』3455。

2020-07-09 06:07:38 | カフカ覚書

けれども、いったんお勤めをはじめると、すべての疑いは、消え去ってしまうのでした。フリーダは、自分を絶世の美人だと思いこみ、お客たちにもうまくそう思いこませることができるのです。


☆彼女はみんなのことを知っています。これが本当の術というものです。素早く嘘をつき欺くのです。それと共に正確に見る時間を作らないのです。