続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)虚を衝かれしは。

2020-07-22 09:46:07 | 飯島晴子

   虚を衝かれしは首すじの日焼かな

 首すじは自分では見えない。思いがけず人から指摘され、ああ、不用意なことだったと気づく日焼け。

 虚を衝かれしはキョ・ショウと読んで、虚、賞。
 首すじ(首筋)はシュ・キンと読んで、取、謹。
 日焼はカ・ショウと読んで、仮、笑。
☆虚(うわべだけの)賞を取る。
 謹(かしこまって)、仮(一時的に)笑(ほほえむ)。

 虚を衝かれはキョ・ショウと読んで、嘘、償。
 首すじ(首筋)はシュ・キンと読んで、趣、金。
 日焼はジツ・ショウと読んで、実、傷。
☆嘘の償い、趣(狙い)は金。
 実に傷つく。


『飯島晴子』(私的解釈)鴨のこる。

2020-07-22 09:23:43 | 飯島晴子

   鴨のこる池が真中競馬場

 馬券が外れてしまった。失意、がっかり・・・まわりにいた人たちはみんな立ち上がり帰って行く。虚脱感の余り座席に残っていると真中に掘りがあり北へ帰りそびれた鴨が見えた。ああ…わが同胞よ!

 鴨はオウと読んで、欧。
 のこる(残)はザンと読んで、懺。
 池はチと読んで、稚。
 真中はシン・チュウと読んで、心、誅。 
 競馬場はキョウ・バ・ジョウと読んで、胸、罵、娘。
☆欧(打つこと)を懺(悔いる)。
 稚(おさない)心、誅(罪を咎める)胸(心の中)。
 罵(ののしる)娘。

 鴨はオウと読んで、枉。
 のこる(残)はザンと読んで、讒。
 池はチと読んで、痴。
 真中はシン・チュウと読んで、辛、衷。
 競馬場はキョウ・バ・ジョウと読んで、胸、場、浄。
☆枉(無実の罪)で讒(罪に陥れる)痴(愚か)。
 辛い衷(心の中)を協(話し合い)で場(状況)を浄(きれいにする)。
 


『飯島晴子』(私的解釈)一枚は。

2020-07-22 07:33:06 | 飯島晴子

   一枚は綿の片寄る干布団

 一枚は、ということは複数あると言うこと。掛け布団だろうか、二枚のうちの一枚は軽い化繊(あるいは羽毛)かもしれない。敷いているときは気づかないが、ベランダなどに干してみると綿が片寄っていることに気づくという景である。真っ青な空、気分は高揚しているけど・・・あら、あらっ。

 一枚はイツ・マイと読んで、逸、毎。
 綿はメンと読んで、免。
 片寄るはヘン・キと読んで、返、喜。
 干布団はフ・ダンと読んで、夫、談。
☆逸(逃げる)毎(そのたびに)免(許される)。
 返(もとに帰ると)喜ぶ夫の談(話)である。

 一枚はイツ・マイと読んで、逸、妹。
 綿はメンと読んで、面。
 片寄るはヘン・キと読んで、変・気。
 干布団はカン・フ・ダンと読んで、寛、腑、団。
☆逸(気楽な)妹、面(顔)は変だけど、気は寛(おおらか)で腑(心の中)は団(丸い)。


『飯島晴子』(私的解釈)㉒+

2020-07-22 07:11:06 | 飯島晴子

   氷水東の搭のおそろしく

 氷水を飲んでいる、窓からは東の搭(タワー)が見える。コップの中の氷が溶ける時間と東の搭(タワー)が倒壊するであろう、いつの日かの時間を計る。
 その間、自分の人生をも踏まえて考えてみると、不可逆である時間というものに恐れを抱く。

 氷水はヒョウ・スイと読んで、表、衰。
 東の搭はトウ・トウと読んで、党、等。
 おそろしく(恐)はキョウと読んで、況。
☆表(表に出た)衰え、党(仲間)は等(同じような)況(ありさま)である。

 氷水はヒョウ・スイと読んで、評、推。
 東の搭はトウ・トウと読んで、套、盗。
 おそろしく(恐)はキョウと読んで、凶。
☆評(品定め)を推しはかる。
 套(被った)盗みは凶(悪い)。(盗んだ句)


R.M『軽業師の休息』②

2020-07-22 06:48:10 | 美術ノート

 軽業師、観客の眼差しを混迷に陥れる術をもつ者である。
 あり得ない光景に導く、身体能力だけでない《錯覚》を誘引する。

 当の軽業師の疲労困憊、彼の休息の中にこそ非現実があり、その中に浸ることこそが至福であり休憩なのかもしれない。

 身体はバラバラに切断され石(鉱物/無機質)の壁に埋め込まれている。軽業師の性別は分からないが、女性の裸身である。エロスというよりは母なる者の中に安息を得ている、永遠を望んでいる風でもある。
 仮初の時空、きわめて人工的で、破滅の予感がある。バックは空なのか海なのかも不明であるが、海ならば、この頑強に見える衝立もすぐに流されてしまうに違いない。

 極めて不自然な設定の中での休息、非現実の仮想、これこそが軽業師の休息であり、現実は自分を酷使させるばかりなのかもしれない。デュシャン自身のつぶやきである。


 写真は『デュシャン』展・図録より


『やまなし』の秘密。

2020-07-22 06:12:35 | 宮沢賢治

『やまなし』という作品は牧歌的で滔々とした時間が流れているように感じる。それは地球と宇宙との交感の時空があるからです。

 クランボンはCrab(蟹)、かに座の暗示です。クランボンが笑ったり跳ねたり…死んだりするのはかに座が南中し、地平線に沈むサイクルを言っているのです。だから「なぜ殺された。」と問われても「わからない」と答えるしかありません。
 お魚はうお座、「お魚はこはい所へ行つた」というのも地平線に沈んだということです。
 二疋の蟹はふたご座のカストルとポルックスかも知れません。かに座はちょうどその真ん中にありますから。

《そして黒い円い大きいものが、天井から落ちてずうつとしづんで又上へのぼって行きました。キラキラッと黄金のぶちがひかりました。》
 これは《蟹座金環日食》です。

 こんな風に、黄道を巡る星を物語に仕立てて描いた『やまなし』。
 山は、サンと読んで、Sun/太陽を暗示します。日食で太陽が隠れたことを『やまなし』とユーモアを以て呼んだのだと思います。

 五月と十二月に分けたのは、かに座が夜空に見える季節と、見えない昼の星になる(日食の陰に隠れる)ということです。賢治は本当に楽しく大きな物語づくりの名手だと思います。賛、賛、絶賛!!


『城』3463。

2020-07-22 06:04:59 | カフカ覚書

それも、なんでもかでもむしかえすとはかぎりません。たとえば、フリーダが酒場に出るようになってからは、クラムが以前ほどビールを飲まなくなった、非常に量が減ったというのではありませんが、はっきりと以前よりは減った、というようなことにはふれないのです。

☆それはすべてではありません。たとえば彼女が酒場(死の入口付近)に出るようになってからは内密(死)を偽ることが出来なくなりました。非常に少なくなったのには理由があるのかもしれません。