続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)②+

2020-07-07 07:48:45 | 飯島晴子

   泉の底に一本の匙夏了る

 泉はセンと読んで、旋。
 底はテイと読んで、体(態)。
 一本はイツ・ホンと読んで、逸、翻。
 匙はシと読んで、詩。
 夏はカと読んで、歌。
 了るはリョウと読んで、両。
☆遷(移りかわる)体(ありさま)。
 逸(隠して)翻(形を変えてうつす)。
 詩歌は両(二つ)ある。

 この句の凄さは、この句に留まらないような深さと広がりがあることである。たとえば失恋。諦めた恋、匙を投げた無念、昨日の自分とはきっぱり決別するという決意、女の執念が泉の底には静かに微動だもせず昏っているという・・・。

 泉の底はセン・テイと読んで、尖、抵。
 一本はイツ・ホンと読んで、逸、反。
 匙はシと読んで、刺。
 夏了るはカ・リョウと読んで、科、諒。
☆尖(とがって)抵(逆らうこと)を逸(気楽)に反(繰り返す)。
 刺(さすように相手の弱点をつく)科(つみ・とが)を諒(はっきりと覚った)。


『飯島晴子』(私的解釈)①+

2020-07-07 07:36:24 | 飯島晴子

   枯蘆の流速のなか村昏る

 枯蘆は死/静、流速は生/動。
 この循環(巡り)のなかに、冬の村がひっそりと、あたかも昏るように佇んでいる。

 枯蘆はコ・ロと読んで、孤、路。
 流速はリュウ・ソクと読んで、留、測。
 なか(中)はチュウと読んで、注。
 村昏るはソン・コンと読んで、存、根。
☆孤(一人)路(みち)に留まる。
 測(推しはかり)注(書き記す)。
 存(考える)根(根拠)がある。

 枯蘆はコ・ロと読んで、粉、漏。
 流速はル・ソクと読んで、縷、仄。
 なか(中)はチュウと読んで、衷。
 村昏るはソン・コンと読んで、存、恨。
☆粉(まぎれて)漏れる縷(糸のように細い)仄(かすかな)衷(心の中)に存(在る)恨(悔みごと)。


『飯島晴子』(私的解釈)100

2020-07-07 07:14:38 | 飯島晴子

   大雪にぽつかりと吾れ八十歳

 大雪、景は一面見渡す限り真っ白。この白く眩いばかりの世界に、ぽっかりと・・・わたくしの占める(逝くべき)場所が空いております。
 この純白の景色の中に、色を失くした…八十歳のわたくしを見るのでございます。

 大雪はタイ・セツと読んで、他意、説。
 吾れはゴと読んで、誤。
 八十歳はヤ・ジュウ・サイと読んで、也、重、差異。
☆他意の説(話)は誤(あやまり)也。
 重(はなはだしい)差異(違い)がある。

 大雪はタイ・セツと読んで、諦、截。
 吾れはゴと読んで、悟。
 八十歳はヤ・トウ・セイと読んで、也、套、性。
☆諦(あきらめて)截(たち切る)。
 悟(さとる)也。
 套(隠した)性。


『飯島晴子』(私的解釈)99

2020-07-07 06:59:20 | 飯島晴子

   葛の花来るなと言つたではないか

 この壮絶な句は圧巻である。
 垂直に立ち上る葛の花、作者はこれを眼下に見ている。すでに天上へと向かっている死への決意。《来るな》は決してあなたたちは来てはならない!命令である。

 葛はクズと読んで、屑。
 花はカと読んで、過。
 来るなはライと読んで、磊。
 言つたはゴンと読んで、言。
☆クズ(屑)の過(あやまち)、相手は磊(小さなことにはこだわらない)と言う。

 葛はカツと読んで、闊。
 花はカと読んで、佳。
 来るなはライと読んで、礼。
 言つたはゲンと読んで、現。
☆闊(心が広く)佳(佳人)であることは、礼(作法や態度)に現れている。 


『飯島晴子』(私的解釈)98

2020-07-07 06:18:39 | 飯島晴子

   生きものの影入るるたび泉哭く

 生きものの影が泉に入るには鳥影のように宙に浮かなければ入らない。
 天に還る=死に逝く生きものの影であるが、もちろん影は幻影である。人が死ぬ、地を離れることの慟哭、物の始まり(誕生)である泉は、終末である死に烈しく心を揺さぶられ訣れを告げるに違いない。

 生きもの(生者)はセイ・ジャと読んで、聖者。
 影はエイと読んで、嬰。
 入るるはnew/新(シン)と読んで、信。
 たび(度)はトと読んで、徒。
 泉哭くはセン・コクとよんで、宣告。
☆聖者は嬰(生まれたばかりの子供)を信徒と宣告。

 生きもの(生者)はショウ・シャと読んで、証、謝。
 影はエイと読んで、永。
 入るるはジュと読んで、需。
 たび(度)はドと読んで、度。
 泉哭くはセン・コクと読んで、宣、酷。
☆証(ありのままを述べること)を謝る。
 永(とこしえ)に需(求める)度(悟りの世界)。
 宣(広く知らせること)は酷(むごい)。


R.M『喜劇の精神』②

2020-07-07 04:54:30 | 美術ノート

 人型に切り抜いた紙状のものである、それが地上に立っている。雨・風・嵐に耐えることは難しいし、立ち姿でいることさえ奇跡である。しかも下り坂であり、片方の足先は地面にめり込んでいる。

 肉体を失っている。本当の自分自身を隠して一枚の薄い紙に変身している、どこから見ても隙間だらけで観客は彼の一挙一動も見逃さない。逃げ場がないのである。身体を頭のてっぺんから足の先まで曝して観客の笑いに応えねばならない。

『喜劇の精神』には哀愁が漂うが、その哀愁は笑いと活力に変換される。
 観客は傍観者だが、喜劇役者はそれを俯瞰する。観客に緊張は不要だが、喜劇の精神には猶予のない緊張が肉体を操作する。ゆえに本当の肉体は隠蔽し、観客の眼差しで穴だらけ(傷ついた)になった薄い紙状のものに精神を変換するのである。
 断じて軽薄ではないが、軽薄に見せることが『喜劇の精神』である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『やまなし』25.

2020-07-07 04:45:40 | 宮沢賢治

『吐いてごらん。おや、たつたそれきりだらう。いゝかい。兄さんが吐くから見ておいで。そら、ね、大きいだらう。』
『大きかないや。おんなじだい。』
『近くだから自分のが大きく見えるんだよ。そんなら一緒に吐いてみよう。いゝかい。そら。』
『やつぱり僕の方大きいよ。』


☆経(常に変わらない)諦(真理)がある。
 図りごとの目(ねらい/観点)の他意は杜(根拠のない)図りごとである。
 教(神仏のおしえ)である度(悟りの世界)を兼ねた他意である。


『城』3453。

2020-07-07 04:37:04 | カフカ覚書

たとえば、あの人が髪の毛を解くところを初めて見てごらんなさい。気の毒になって手を打合わせてしまいますわ。きちんとした建前からすれば、ああいう娘は、客室付き女中にもなれないところですわ。


☆たとえば彼女が悲嘆を解決したのを見ると、何となく同情してしまいます。このような作り話を正しく引きつぐのなら、テーマとしての作り話にさえなりません。