人を想起させる紙切れは、現世としての条件をなしていない。この者たちが漆黒の荒れた海原を見ているように思うのは、鑑賞する側の個人的な思い込みに過ぎないかもしれない。
この人型の切り抜きは前後不詳である。向こうを見ているのか、こちらへ向かっているのかも分からず、見ているという認識さえ根拠が薄い。
嵐の難破船から上陸してきた者たち(死人)かもしれない。冥府への旅立ちには美しい装いが用意されているのだろうか。
人の態、肉体を失っている紙切れが、地上に垂直に立つことさえ奇蹟であるが、紙切れは魂(霊魂)の化身なのだと解釈すれば納得できる。
この霊魂が現世から嵐を超えて冥府にやってきたのか、現世の嵐を祈りを込めて見つめているのかは判断できない。
ただ、死線を超えるときには、「装い」が準備されているのかもしれないという観測である。しかし、現世に生きるわたし達にはその基準を知らない。
装い=高価・豪華・華美などではなく、精神的な装いの高貴かもしれない。
写真は『マグリット』展・図録より