続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

R.M『嵐の装い』③

2020-07-10 06:39:18 | 美術ノート

 人を想起させる紙切れは、現世としての条件をなしていない。この者たちが漆黒の荒れた海原を見ているように思うのは、鑑賞する側の個人的な思い込みに過ぎないかもしれない。

 この人型の切り抜きは前後不詳である。向こうを見ているのか、こちらへ向かっているのかも分からず、見ているという認識さえ根拠が薄い。
 嵐の難破船から上陸してきた者たち(死人)かもしれない。冥府への旅立ちには美しい装いが用意されているのだろうか。

 人の態、肉体を失っている紙切れが、地上に垂直に立つことさえ奇蹟であるが、紙切れは魂(霊魂)の化身なのだと解釈すれば納得できる。
 この霊魂が現世から嵐を超えて冥府にやってきたのか、現世の嵐を祈りを込めて見つめているのかは判断できない。
 ただ、死線を超えるときには、「装い」が準備されているのかもしれないという観測である。しかし、現世に生きるわたし達にはその基準を知らない。
 装い=高価・豪華・華美などではなく、精神的な装いの高貴かもしれない。


 写真は『マグリット』展・図録より

 


『やまなし』28.

2020-07-10 06:31:50 | 宮沢賢治

『かはせみだ』子供らの蟹は頸をすくめて云ひました。
 お父さんの蟹は、遠めがねのやうな両方の眼をあらん限り延ばして、よくよく見てから云ひました。


☆詞(言葉)は胸(心の中)の皆(すべて)を継(つなぎ)運(めぐらせている)。
 普く皆(すべて)を掩(隠している)。
 霊(死者の魂)を包む言(言葉)が現れる。
 掩(隠して)兼ねて運(めぐらせている)。


『城』3456。

2020-07-10 06:14:09 | カフカ覚書

もちろん、それだけでは、いつまでもだましつづけられるものではありません。お客さまだって、見る暇があって、結局は眼のほうが正しかったということになってしまいましょう。しかし、フリーダは、そういう危険に気づいたときは、すでにつぎの手管を用意しているのです。最近ではクラムとの関係がそれです。


☆何時までも継続することはできません。けれど、みんなの眼の方が、結局正しかったのです。けれど、束の間、このような危険に気づいた時には既に他の方法を準備していたのです。最近では例えばクラムとの関係がそれです。