続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)白あやめ。

2020-09-15 07:07:35 | 飯島晴子

   白あやめ鱗あるもの離りゆく

 白あやめが咲いている。鱗あるもの(鱗雲)の薄曇りではっきりしなかったけれど雲が去った青空の下、白あやめの輪郭もはっきりと美しく浮かび上がった。

 白あやめ(白菖蒲)はハク・ショウ・フと読んで、迫、症、普。
 鱗あるもの(鱗有物)はリン・ユウ・ブツと読んで、倫、幽、物。
 離りゆく(離行)はリ・コウと読んで、離、向。
☆迫(苦しめる)症(病の兆候)。
 普く倫(仲間)は幽(あの世)へ仏(死んで)離(別れ別れ)に向かった。

 白あやめ(白菖蒲)はハク・ショウ・フと読んで、博、章、二。
 鱗あるもの(鱗有物)はリン・ユウ・ブツと読んで、輪、遊、打つ。
 離りゆく(離行)はリ・コウと読んで、利、講。
☆博(大きく広がる)章、二つは輪になる。
 遊びを打つ利(都合のいい)講(話)がある。


R.M『野の鍵』

2020-09-15 06:37:48 | 美術ノート

   『野の鍵』

 窓外の景色である。
 内と外の間には透明ガラス(窓)の仕切りがあり、そのガラスの部分が砕け落ちている。ガラスの破片には外を写していた景色がそのまま断片的に残留、描き留められている。
 もちろん有り得ない現象であるが、想念の中で組み立てた精神界における現象である。ガラス(物質)に記憶装置はないが、破片になる以前に映していた景色が定着する怪奇は精神の自由な妄想においては許可される。

『野の鍵』、自然を眺望する眼差しの主観。見えるもの(景色・世界)は見えたまま眼差しに映り定着する、その間に秘密はない。
 しかし、眼差しには記憶による時間のずれがある。客観的な答えはそこに無く、主観的感覚があるばかりであるが、それを証明する術は決して存在しない。

 野(the Field)、世界を見る眼は主観であるが、積み重ねられた情報(データ)の潜在的認識によって、時間的なズレと共に砕け落ちたガラス片に定着した景色を見ているのである。
『野の鍵』、見ることの鍵は、潜在的な景色を孕んだまま見ていることの危機感を提示している。


 写真は『マグリット』展・図録より


『注文の多い料理店』35.

2020-09-15 06:23:09 | 宮沢賢治

「仕方ない、とらう。たしかによつぽどえらいひとなんだ。奥に来てゐるのは」
 二人は帽子とオーバコートを釘にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはひりました。


☆詞(言葉)で法(神仏の教え)を追う。
 頼るのは字を認(見分けること)で、謀(はかりごと・計画)の死である。
 諦(真理)を化(教え導くこと)の秘(人に見せ根いように隠して)注(書き記す)。


『城』3497。

2020-09-15 06:13:22 | カフカ覚書

たぶん、二、三時間後には新しい仕事をはじめることになっていたのに、髪も結ってなければ、しゃれた服も、きれいな下着も、人前へはいて出られるような靴もないありさまでした。


☆たぶん、数時間後には始めるべきだったのに美しくも新しくもなく品のないガラクタですから、上品な死もなく何の責任もないというありさまでした。