続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)鍋の耳。

2020-09-28 07:06:02 | 飯島晴子

   鍋の耳ゆるみしのみが女の冬

 鍋の耳ゆるみしのみが・・・鍋の耳、ゆるむだろうか。確かにそういうこともあるかもしれないが、鍋の耳が緩むのは一大事である。相当な危険が予想されるから職人もここは絶対にゆるまないように念を入れているはず。
 要するに滅多にない!絶対に無いかもしれない女の冬(気が緩むような活気を放棄できるようなボォーっとした時間)である。女は季節を問わず忙しい、不満の吐露である。

 鍋の耳はカ・ジと読んで、華、爾。
 ゆるみしのみ(緩)はカンと読んで、観。
 女の冬はジヨ・トウと読んで、自余、蕩。
☆華のある爾(あなた)、観(よく見ると)自余(ことのほか)蕩(だらしない)。

 鍋の耳はカ・ジと読んで、何、字。
 ゆるみしのみ(緩)はカンと読んで、換。
 女の冬はニヨウ・トウと読んで、二様、統。
☆何(いずれか)の字(文字)に換(替える)。
 二様(二通り)をも統(収めている)。


R.M『透視』②

2020-09-28 06:33:21 | 美術ノート

 見ることの不確実性。
『透視』、見ることは知ることであり、それは情報・知識として脳に刻まれていく。生々流転、生老病死・・・生きるもののサイクルを経験していく。
 一人の人間の中に積み重ねられていく情報量は《観念化》し、固定した見地に確信を持つようになる。

 卵を見れば、雛から成鳥になることを知っているが、卵を見て成鳥を描くことはしない。卵は卵の姿のまま写し取ることがスケッチの目的だからである。しかし、必ずや時間経過の後には成鳥になることは予測可能である。
 この場合の透視は時間を超越することにあり、質的な透視(卵の中身である黄身と白身)ではない。時空を透視している、それも何気ない風に図っている。
 画家(男)の眼差しに誘導される卵、それはいずれ成鳥になるという三角の見えない線条によって否定しながら肯定してしまうのである。
 頑丈な画脚、画布を抑えるかの手により、画布の安定を信じてしまうがすでに傾いているし、卵を載せた台も傾いている。この一瞬より先は全体が崩壊する、そのように構成されている。

『透視』の妙。見えているものは見えていないものを孕み、隠している。物理的にも精神的にもそれは作用する。


 写真は『マグリット』展・図録より


『注文の多い料理店』42.

2020-09-28 06:21:52 | 宮沢賢治

 二人は壺のクリームを、顔に塗って手に塗ってそれから靴下をぬいで足に塗りました。それでもまだ残つてゐましたから、それは二人ともめいめいこつそり顔へ塗るふりをしながら喰べました。


☆字を認(見分け)個(一つ一つ)に含まれる図りごとの化(形、性質を変えて他のものになる)で解(分かる)。
 即ち、図りごとの竄(文字・文章を入れ替えること)である。
 字を認(見分ける)眼(要点、かなめ)は、図りごとの自記にある。


『城』3504。

2020-09-28 06:14:19 | カフカ覚書

わたしは、そのことを考えると、いますべてが水の泡となり、素手でもとの仲間のところへ帰っていくのが、こころ苦しくてなりません。なんという不幸でしょう。


☆ペーピは、そのことを考えるとすべてが無益になり、空の手で再び友達のところへ行くことがますます心苦しくなったのです。