続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ハマスホイ『背を向けた若い女性のいる室内』

2020-09-22 06:58:26 | 美術ノート

  『背を向けた若い女性のいる室内』

 若い女性を背後から描いている。ややうつ向きがちに壁面に眼差しを落としている女性。脅威を感じるほどの額縁(絵画作品)が掛けられ、立派な蓋付陶器が置かれている。室内は重厚な設えである。

 薄暗い佇まい、長く重い時間に対峙しているのだろうか。古く堅固な造りはこの家の秘めた時間を孕み、不可逆な時間の持つ重さは彼女を圧する。そして、厳かである。

 ある種の束縛は、彼女の解放を阻み室内(家)との密な関係を迫っているように見える。室内(家)の持つ荘厳さに肯くが、トレーを脇に抱え持つ若い女性はこの家の生活者(居住者)であれば、この重圧(歴史ある誇り)を理解しているに違いない。
 彼女の吐息まで聞こえてきそうな静寂は、彼女の頭部から上の空間の広さや彼女の中央より脇に寄った構図によるものと思われる。彼女の背中は、時間的にも空間的にも室内に対峙しているが、頭上の高さと足元のカットによりひどく不安定な揺らぎを醸し出している。

 室内の持つ過去の時間に対峙する彼女の背中、堅牢と柔軟、過去と未来の時間の集積、物質(室内)と非物質(女性)の緩やかな交錯、脈々と続く生命の連鎖、息づかい。無音の中の騒めき、沈黙に見える室内は大いなる語り部である。

 写真は日経『デンマーク 室内の豊かさ』(下)より


『飯島晴子』(私的解釈)蛇除けの。

2020-09-22 06:15:35 | 飯島晴子

   蛇除けの杖を拾へば蛇に逢ふ

 偶然拾った蛇除けの杖、そこに蛇が現れたという偶然。偶然が重なれば必然になるが、ここに因果関係はなく不意を衝かれた驚きがあるばかり。
 けれど、蛇の出そうなところで蛇に出会ったのは必然の領域に触れる。偶然と必然の狭間を切り取った妙である。(不条理でもなく条理でもない)

 蛇除けのはダ・ジョと読んで、駄、除。
 杖を拾へばはジョウ・ジュウと読んで、常、充。
 蛇に逢ふはジャ・ホウと読んで、邪、模、倣。
☆駄(むだ)を除(とりのぞき)常に充(欠けたところを満たす)邪(や)。
 倣(見ならいたい)。

 蛇除けのはダ・ジョと読んで、拿、女。
 杖を拾へばはジョウ・ジュウと読んで、情、蹂。
 蛇に逢ふはジャ・ホウと読んで、邪、呆。
☆拿(つかまえた)女の情を蹂(踏みにじる)邪(や)。
 呆(ことの意外なのに驚いている)。