続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ホッパー『ストリップ』

2020-11-08 06:48:06 | 美術ノート

   『ストリップ』

 劇場の舞台に裸身で立つ女、客席に座る男たちの好奇の目。男は女を知らず旺盛な欲望を満たすための対象として舞台の女を見つめる。
 対価(金)を支払っているのだから、どこまでも凝視する権利がある。暗い客席、観客の正体は無であり露呈は拒否したいが、彼女から受ける官能だけは享受したい。

 スポットライトを浴びて立つ裸身の女、男たちに応えているだろうか。筋肉質の身体は鍛え上げた美しさがある。顔をぐいと上に上げ、(さあ、御覧あれ)と言っているようでもある。惨めさはなく、誇らしげでさえあり、誘うような淫靡は微塵もなく堂々としている。(求められる淫靡は観客の妄想である)

 肉体を曝す…隠すもののない開き直り。《悪いか》需要と供給で成り立つ経済を考えるまでもなく、対価(金)を頂く。生きる術としてのストリップ。
 今日の糧は自分の身体で稼ぐ。男たちの視線は全身で拒否しているが受け入れてもいる、わたくしを捨てわたくしに生きる。

 流通する価値、堕落だろうか…隠すべきものを捨てる。羞恥心?それは観客もろともお仲間である。
 大部分を占める黒(暗部)と白く輝く女の裸身の対比、女はひと時輝きながら労働し生きる糧に勝負する。

 写真は『HOPPER』(岩波 世界の巨匠)より


『飯島晴子』(私的解釈)容赦なき。

2020-11-08 06:06:39 | 飯島晴子

   容赦なき夏鶯の近さかな

 夏鶯…老鶯、衰えの見える夏の鶯。容赦なき老い、万物への通告である。その夏鶯を近くに感じるわたくしであるけれど、あえて言うならば、春より夏の方がその鳴き声に張りがあり高く響き渡ることは、夏鶯(漢詩)という言葉に隠れた事実である。

 容赦なき(容赦無)はヨウ・シャ・ムと読んで、陽、遮、霧。
 夏鶯はカ・オウと読んで、霞、応。
 近さはコンと読んで、混。
☆陽(日の光)を遮(さえぎる)霧は、霞(かすみ)と応(つりあい)混(一緒)である。

 容赦なき(容赦無)はヨウ・シャ・ムと読んで、様、写、務。
 夏鶯はカ・オウと読んで、果、応。
 近さはキンと読んで、欣。
☆様(手本)を写すことに務める。
 果(結果)には応えてくれる欣(喜び)がある。