続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)六月の。

2020-11-25 06:53:39 | 飯島晴子

   六月の父よ生木の梯子持つ

 六月、梅雨の季節の湿度、さらに生木の比重・・・重い梯子を持つことの出来たワイルドな(頑強)父であったのに。

 六月の父はロク・ガツ・フと読んで、碌、合、父。
 生木はショウ・ボクと読んで、笑、朴。
 梯子持つはテイ・シ・ジと読んで、態、私、似。
☆碌(役に立たないさま)を合わせると、父を笑ってしまう。
 朴(ありのまま)の態(ありさま)は、私に似ているから。

 六月の父はロク・ガツ・フと読んで、録、合、二。
 生木はショウ・モクと読んで、章、黙。
 梯子持つはテイ・シ・ジと読んで、底、示、字。
☆録(文字に書き記し)合わせると、二つの章がある。
 黙っている底(物事の下の部分)には示(教える)字がある。
 


R.M『稲妻』

2020-11-25 06:24:51 | 美術ノート

   『稲妻』

 稲妻とは、空中電気の放電(電光)であり、それが雲に反映したものである。
 作品においては花瓶に生けられた花の集合の部分に変化がみられる。なぜ、花なのか。稲妻が走る場合、劇的変化の彩色を見るが、この画では眩いばかりの光というより無彩色のグレーに変化している。

 周囲(外気)の眩い光によって室内にある花が無彩色なグレーの色面、つまり、影…有るが無いものに変化している。
 稲妻の光は視界を劇的に明るく照らし出すが、そのことによって見ている対象を見えなくする作用を生じさせる。

 存在するものは、有るがまま存在しているだけである。しかし稲妻という現象は、物理的にも心理的にも、見ている対象を激変させてしまう。光の魔術は自然界におけるトリックであり真理である。


 写真は『マグリット展』図録より


『城』3543。

2020-11-25 06:15:22 | カフカ覚書

だから、まったく意味のないことなのです。でも、クラムが来てくれなかったら、ほとんどあらゆることが無意味になってしまうのです。だのに、クラムは来ませんでした。今日では、わたしは、彼がなぜ降りてこなかったかを知っています。


☆無意味なのです。でも、彼が来なかったら、ほとんどあらゆることが無意味になってしまうのです。そして彼は来ませんでした。今日ではなぜ彼が来なかったかをわたしは知っています。