続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)ちゝはゝの。

2020-11-24 07:29:22 | 飯島晴子

   ちゝはゝの指をわづらふほたるぶくろ

 庭の手入れをしていると、植えた覚えのないホタルブクロの花が咲いている。清しく可憐なホタルブクロを野草として取り除くべきか否、・・・父母の指を戸惑わせているホタルブクロである。

 ちゝはゝ(父母)はフ・ボと読んで、腑、簿。
 指をわづらふ(指煩)はシ・ハンと読んで、止、判。
 ほたるぶくろ(蛍袋)はケイ・タイと読んで、景、諦。
☆腑(心の中)を簿(ノート)に止(とどめている)。
 判(区別すると)、景(ありさま)が諦(あきらかになる)。

 ちゝはゝ(父母)はフ・ボと読んで、譜、墓。
 指をわづらふ(指煩)はシ・ボンと読んで、仕、凡。
 ほたるぶくろ(蛍袋)はケイ・タイと読んで、系、代。
☆譜(代々続く)墓に仕えるのは、凡(おおむね)系(つながり/係累)の代(世代)である。


R.M『エルシノア』

2020-11-24 06:48:06 | 美術ノート

   『エルシノア』

 平原に唐突に緑の森が現れる、巨大であり深いが一枚の薄い平面状である。焦点は地平線にも樹々にも樹の上方にも…つまり全体を真正面から見ている。しかも木々の上は建屋の形がくっきり刻まれ街の態である。

 物理的根拠をすべて外し得たという光景は、何を意味しているのだろう。概念の通用しない世界の形成。徹底的に存在の条理を否定し、さもありなんという共通項を残している。
 平原に然り、林立する樹木、背景の薄雲のかかった空・・・しかしどこかおかしい、総てに奥行きがあると見せかけてベタ(平面状)なのである。世界の在り様の不条理をこの画に暗示している。

 絶対に!こうではないという光景を意図的に描き出している。
 世界の不在(空虚)を、硬質の薄っぺらい板状の盾で表示する企てである。
 一見すると緑豊か。しかし、緑(濃淡)でしかなく不気味である。木々の在り様も総てが直立は不自然だし、葉の密集に枝の欠如はあり得ない。

 あり得ない光景を現出させた意図はなんだろう。
 この画の中に鑑賞者は入りこめない、入口も出口もない異世界。絵(世界)の前で立ち往生し、禁断の門の構築を再認識せざるを得ない。とにかく誰も入れない、入れない、禁断の境界である。マグリットの強固な意志の表明である。

 写真は『マグリット展』図録より


『城』3542。

2020-11-24 06:35:44 | カフカ覚書

これは、まったく無意味なことでした。クラムが降りてこようとおもっているのなら、勝手に降りてくることでしょう。しかし、降りてくる意志がなければ、わたしが壁のくぼみのなかで息ぐるしいほど胸をはずませてみたところで、さそいだすわけにはいかないでしょう。


☆これは全く無意味なことでした。クラムが来ようとしているのなら来るでしょうし、その意思がなければ、壁のくぼみで動悸が激しくなるほど息をひそめていても、おびき出すことはできません。