続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ホッパー『海際の部屋』

2020-11-09 11:19:24 | 美術ノート

  陽光はかなり部屋の奥まで差し込んでいる、晩秋から冬である。静かな海、小春日和の空気はやわらかい。
 白く浮き上がった壁は壁の色面を斜めに別ける。この斜線が水平線を切り、二本の垂直線(壁/柱)に対峙するバランスに狂いはない。 

 青の濃淡に対し、暖色(黄・赤/ローズ・黄緑・緑)は端に寄っている、あたかも重しのようなバランスである。
 彩色が語っている空気の密度はひどく解放され、自由なリズムを静かに奏でている。部屋に人は描かれていないが、確かな人の存在が垣間見える。風雅な落着きは、贅沢な空間を醸している。

 この平穏、危機の予兆のない時空は至福である。


 写真は『HOPPER』(岩波 世界の巨匠)より


『飯島晴子』(私的解釈)吾ながら。

2020-11-09 07:02:02 | 飯島晴子

   吾ながら卑しき日焼け手首かな

 帽子をかぶり着衣で身を包み化粧を施し靴を履いても、哀しいかな手首だけは…。  
 日常の作業に手袋着用はほぼ無理だから気づいてみると、手首の日焼けは避けられない。高貴な身分でない証!

 吾ながら卑しきはア・ヒと読んで、亜、非。
 日焼けはジツ・ショウと読んで、実、小。
 手首はシュ・シュと読んで、主、須。
☆亜(二番目)の非(欠点)は、実(内容)が小(つまらないこと)である。
 主(中心となる事柄)が須(必要)である。

 吾ながら卑しきはア・ヒと読んで、啞、飛。
 日焼けはジツ・ショウと読んで、実、章。
 手首はシュ・シュと読んで、殊、手。
☆啞(驚いて言葉が出ない)飛(思いもかけない)実(内容)の章(文章)がある。
 殊(普通と違う)手(手法)である。


R.M『星座』

2020-11-09 06:26:01 | 美術ノート

   『星座』

 星座、しかし、星座が見えるべき空は雲に被われている。果てしなく続く平原の向こうには小山があり、手前には「空気の平原」に描かれた巨大かつ異質の一葉があり、その手前には観念の受容しうる自然な樹が立っている。
 これだけでも奇妙な時空であるが、さらに手前上部には緞帳が下がっている。これは室内から覗く景色なのか、あるいは天空から緞帳が下りてきているのか不明である。暗赤色の緞帳には番の鳥(鳩)が葉(オリーブ)から生えだしている。

 実に全てが常識(観念の集積)からはみ出し転倒し、錯乱している。不条理の混沌ともいうべき景色を『星座』と称している。
 古くからのいわれである伝説・神話を題材に星の並びに線を引き物語を紡ぎ出している星座。

 その星座を地上に置き換えてみると、こんな条理を外した景色になるのかもしれない。緞帳にみる重力の有無の疑惑、平原がまるで水面のようだし、黄色くかすんで見えるのは海(水平線)ではないか、水平線を雲が隠しているような不明確な遠景。人の手で織りなした緞帳、人工的な暗赤色の彩色、中央には大家族を彷彿とさせる鳩とオリーブが象徴的に飾られている。

 つまりは総てが虚偽であり、空想の賜物である。実景は空想の裏付けがあっての実景であり、空想の時空こそが実景に目覚める根幹である。
 ゆえに人は空に『星座』を描き星座に遊び、真偽の狭間に安息を得たのではないか。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3532。

2020-11-09 06:14:01 | カフカ覚書

それからさらに、これがおそらく最も大きな不運だったとおもいますが、クラムは、この四日のあいだ(最初の二日間は村に滞在していましたのに)、一度も階下の酒場へ降りてこなかったのです。

☆それから、もしかしたら大きな不運であるクラムの死の日だったのです。それにもかかわらず、最初は疑いなく村(現世)にいたのですが、旅人(死)の課題にまでは降れませんでした。