続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)寂しいは。

2020-11-22 12:58:54 | 飯島晴子

  寂しいは寂しいですと春霞

 寂しいは寂しいと肯定することで、寂しさがむしろ霧消していく。否、さらに深い寂しさであるのか。寂しさの不明な正体、春霞のような浅き夢の現象である。

 寂しいは寂しいですはセキ・セキと読んで、積、責。
 春霞はシュン・カと読んで、悛、果。
☆積(つもりつもった)責(なすべき仕事、努め)、悛(過ちを正すこと)を果(思い切ってやる)。

 寂しいは寂しいですはセキ・セキと読んで、寂、脊。
 春霞はシュン・カと読んで、俊、暇。
☆寂(もの淋しい)脊(背中)を、俊(優れた人)の暇(仕事のない手すきの時)にみた。


『飯島晴子』(私的解釈)蝉殻の。

2020-11-22 06:38:53 | 飯島晴子

   蝉殻の湿りを父の杖通る

 蝉殻・・・本体(魂)の抜け殻の湿り(悲しみ)に、亡父の杖(くよくよしていてはいけないという叱責)が過った。

 蝉殻はゼン・カクと読んで、全、較。
 湿りを父のはシツ・フと読んで、質、普。
 杖通るはジョウ・フと読んで、状、二。
☆全てを較べ質(問いただす)と、普く状(ありさま)は、二つある。

 蝉殻はセン・カクと読んで、専、書く。
 湿りを父のはシツ・フと読んで、質、腑。
 杖通るはジョウ・ツウと読んで、情、痛。
☆専(ひたすら)書く質(内容)は、腑(心の中)の情(個人的な感情)であり、痛(心のいたみ)である。