続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)土筆折る。

2020-11-11 07:08:17 | 飯島晴子

   土筆折る音たまりける体かな

 土筆折る音・・・そういえばちょっと音がするかな?という程度の微音。気にもならないような微細なこだわり、小さな歪が体の中で確と蓄積されている。即ち、ストレスである。

 土筆はド・ヒツ・と読んで、怒、必。
 折る音はセツ・インと読んで、説、引。
 たまりける体(溜体)はリュウ・タイと読んで、留、対。
☆怒ると必ず説(話)を引きのばす。
 留まり対(向き合う)。

 土筆はド・ヒツと読んで、努、筆。
 折る音はセツ・オンと読んで、拙、隠。
 たまりける体(溜体)はリュウ・タイと読んで、流、退。
☆努(力を尽くし)筆(文字や絵を描く)。
 拙(つたないので)隠して流(形を成さないで終え)退(しりぞくこと)がある。
 


R.M『人間嫌いたち』

2020-11-11 06:37:42 | 美術ノート

   『人間嫌いたち』

 聳え立つカーテン(遮蔽)、数多のカーテンの片側(左右)がそれぞれ一を違えて林立している。つまり、全く閉じられておらす、隙間は縫うように自由な通り抜けの空間がある。

 しかし屋内にあるべきカーテンは、はるかに続く平原(屋外)にあり、しかも左端には樹がカーテンに紛れているのが見える。カーテンは樹であり、樹はカーテンと化している。空は曇天、光源(光)は左上方、真昼である。
 にもかかわらず、この暗さ。
『人間嫌いたち』というからには、人間を嫌う人たちの比喩なのか・・・。少なくともカーテン(遮蔽)は人間ではなく、人間嫌いの人たちの心理の具象化である。

 思い切り高くまでの遮蔽(しかし天までにはさらに巨きな空間がある)、ずっと遠くまで絶え間なく林立するカーテン(しかし左右すべては被えない)。
 つまり、どんなに嫌うことで覆いつくしたように思っても、限界があるということであり、隙間だらけである。
 外部を覗くことができる隙間であるが、覗かれる隙間でもある。

『人間嫌い』は、世間を隔絶できず、世間からも解放されることはない。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3534。

2020-11-11 06:21:39 | カフカ覚書

もし降りてきてくれていたら、わたしはーもちろん、こういうことは、口にしないのがなによりだとおもいますがークラムの愛人にならなかったでしょうし、そういう名誉ある地位にのしあがりもしなかったでしょうが、すくなくともフリーダとおなじくらいていねいにビールを机のうえに運んで行くことができ、フリーダのようなあつかましい態度でなしに優雅にお辞儀と挨拶をしたことでしょう。


☆明らかにもっともよいのは何もしないことですが、先祖のこのような嘘がなければ、少なくともフリーダとおなじように気持ちよくビールのグラスを運んでいくことができ、フリーダのような厚かましい言動もなく立派に挨拶をしたことでしょう。