続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)なぜかしら。

2020-11-16 07:03:23 | 飯島晴子

   なぜかしら好きになれない金魚かな

 金の魚である観賞魚、♪赤いべべ着た可愛い金魚~♪ でも、なぜかしら好きになれないのは、囲いの中で華美を誇示する哀れが胸を締めつけるからかもしれない。

 なぜかしら(何故)はカ・コと読んで、化、個。
 好きはコウと読んで、恒。
 金魚はコン・ギョと読んで、渾、語。
☆化(形、性質を変えて別のものになる)個(一つ一つ)がある。
 恒(つね)に、渾(いろんなものが一つに融け合っている)語がある。

 なぜかしら(何故)はカ・コと読んで、果、怙。
 好きはコウと読んで、講。 
 金魚はクン・ゴと読んで、訓、語。
☆果(結末)を怙(たのむ)講(話)である。
 訓(字句を解釈する)語(言葉)がある。


R.M『応用弁証法』②

2020-11-16 06:34:08 | 美術ノート

 二枚の対になった画面は、いわば往復の図である。この画のフレームは何かアルバムのような式であり、遠い昔の記録として掲げられている感じである。

 正否、勝敗、期待と憔悴・・・この二枚は時間的にどちらが先行しているというのではなく、繰り返される事象である。
 背反、たがいに背き相容れない時空は実はつながっている。敵対するものは勝敗を分け、勝利は土地や富を得、敗退は焦土と化すが必ずしも永遠ではない。

 地球を空から見たら国境は見えないというフレーズのとおり、小さな星の争奪戦にすぎない。
 有機の存在である人類の欲望、単に物質の進化途上にすぎないと考えれば、宇宙誕生の原理である反物質に結びつき、いつの日か消滅、霧消の時代を迎えるかもしれない。

 しかし人類はそれでもなお闘いを止めず、過去にも未来にもこの構図は通用するのである。『応用弁証法』は宿命の構図である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3537。

2020-11-16 06:22:28 | カフカ覚書

〈いまこそ降りていらっしゃるにちがいない〉と、わたしは考え、まさしく期待からくる不安と、彼がここにはいってこられたらいの一番にお姿を見たいという願望からたえずそわそわ走りまわっていました。


☆今にクラムは来るだろうと、いつまでもずっと考え、予期する不安とともに、まず直ぐにここに出現するところを見たいと思ったのです。