続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)鎌の刃の。

2021-02-02 07:10:10 | 飯島晴子

   鎌の刃の研斑ひかる川泳ぎ

 鎌(レン)、刃(ジン)、研斑(ケン・フ)、ひかる(光)、川泳ぎ(センエイ)。
☆恋人を験(調べる)と、顕(あきらか)に怖い。
 光(目立って優れた)尖鋭(思想行動などが急進的である)。

 鎌の刃はレン・ジンと読んで、聯、訊。
 研斑はケン・ハンと読んで、兼、反。
 ひかる川泳ぎ(光川泳)はコウ・セン・エイと読んで、考、潜、営。
☆聯(並べてつなぎ)訊(問いただす)と、兼(二つ以上のものを併せ持っている)。
 反(元に戻る)考えを潜(ひそませて)営(こしらえている)。

 鎌の刃はレン・ジンと読んで、斂、塵。
 研斑はケン・ハンと読んで、検、判。
 ひかる川泳ぎ(光川泳)はコウ・セン・エイと読んで、垢、染、衛。
☆斂(集め取る)塵(ちり)を検(調べ)判(区別する)。
 垢(あか・汚れ・ウィルス)の染(影響)を、衛(防ぎ守る)。


R.M『世紀の伝説』②

2021-02-02 06:36:59 | 美術ノート

 伝説。場所・時代・人物などが明確に語られているということであるが、その真偽については不明か否かは分からない。
 信じることにおいて事実になるかもしれない。その信じる力の結集が幾世代にもわたり根付き確信となり疑惑の余地などは微塵もなくなるという現象は、歴史(時間)が証明してみせている。
 Anno Domini、西暦、ごく一般的に通用している世紀という概念。すでにその支配下に従属していると言ってもいいかもしれない。

 作品は巨大に過ぎる石(岩石)で工作された椅子である。地平線から推してとても人間の昇れる高さではなく、天上である。その領域に君臨する誰か、伝説でしかありえない誰か・・・用意された椅子は人を想起させるが巨大に過ぎ偉大を超える想定外の誰かの存在は、一般に《神》と呼ばれる。そのシートに小さな椅子が用意されている、おそらく、神が父なら《子》である。その小さな椅子には着色(木質)があり、人間の手に因るものと理解していいかもしれない。父と子とその周囲を被う《霊》、この三位一体こそが、人類が消滅し果てた超未来にも遺跡として残存するのではないか、それほどに強い精神界の旗手は永遠に語り継がれる『世紀の伝説』に違いない、というマグリットの見解、ため息である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3584。

2021-02-02 06:22:09 | カフカ覚書

しかし、ぼくがフリーダに飽きたとか、つぎの日にはフリーダを追いだしていただろうとか、もしかしたら世間の妻が良人をあざむくかもしれないのとおなじように彼女がぼくをあざむいたとかいうのは、まったく事実ではないよ。


☆わたしがフリーダにあきあきしたとか、最近ではすでに若返ったとか、あるいは夫人が良人を欺いたとかいうのは、多分真実ではない。